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横浜案内板集め

  • 2020年5月23日
  • 2020年7月11日

コンビニ前の開国当時の元浜町案内板

安政6年(1859年)6月横浜開港以降、「関内」地区は神奈川運上所(現神奈川県本庁舎の位置)の東側を外国人居留地、西側を日本人居住地としていた。この地は古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859年)の横浜開港に際して新設され「海辺通」と町名を付けられた。その後、明治4年(1871年)4月にこの地先の海岸を埋め立て、その地を「海岸通」とされたため、元の「海辺通」は「元浜町」と改称された。

  • 2020年5月21日
  • 2020年7月11日

赤レンガ倉庫のすぐ横にある旧税関事務所遺構

これは大正3年(1914)5月に建設された税関の事務所遺構です。レンガ造りスレートぶき、3階建のゴシック様式の建物でしたが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災により床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋めもどされて荷さばき用地となっていました。「赤れんがパーク整備」のための工事のさいに発見され、現在、花壇として利用しています。しゅん工時、1階には「硝子張天井」のホールと受付カウンター、2・3階には事務室や応接室、外航船や荷役のための貸事務所がありました。ガス暖房や電気照明も完備されていました。

  • 2020年5月20日
  • 2020年7月11日

横浜都市発展の要横浜赤レンガ倉庫を知る3つの案内板

赤レンガ倉庫は、東洋で初めて築造された近代ふ頭である「新港ふ頭」に、輸出入される貨物を税関が管理する倉庫として、国(大蔵省)によって建設されたもので、耐震・耐火構造を採用した当時最新鋭の倉庫でした。創建時から戦前までは横浜税関が管理し、葉煙草、羊毛、光学機器などの輸入品を取扱っていましたが、戦時中は陸海軍の輸送司令部が管理し、戦後は米軍の港湾司令部として使用されました。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

ワールドポーターズ前の大きな錨(いかり)はどこが作った?

この錨は(株)アイ・エイチ・アイ・アムテック横浜工場の寄贈によるもので、石川島播磨重工業(株)横浜工場で1971年に建造され中近東から日本へ原油を運搬した大型原油輸送船「高岡丸」(全長316m、幅50m、深さ25.5m、載貨重量215,850K/T)に備え付けられていたものと同型のものです。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

みなとみらい汽車道の第2第3橋梁の案内板

この橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作され、明治42年(1909)に架設された100フィートの複線トラス橋です。重量機関車の出現により、それまでのイギリス系トラス橋にとってかわり、明治30年代から主流となったアメリカ系トラス橋の遺構として貴重なものです。

  • 2020年5月19日
  • 2021年2月13日

ヘボン博士縁のある指路教会の案内板

ジェームズ・カーチス・ヘップバーン(通称ヘボン)は、米国長老教会から派遣され、一八五九年十月一八日に来日、横浜に居住し、医療と伝道にあたった。やがて、ヘボン塾で勉強していた青年を中心として、教会設立の機運が起こり、宣教師ヘンリー・ルーミスが初代牧師となり、一八名の信徒を以て設立、その名を横浜第一長老公会とし、日本最初の長老教会として誕生した。

  • 2020年5月19日
  • 2021年1月1日

吉田橋設計者のブラントンと鉄の橋の案内板

明治2年(1869年)、英国人土木技師R.H.ブラントン(RICHARD HENRY BRUNTON 1841〜1901)により架け替えられた吉田橋は、橋長24m、幅員6mの日本最初のトラス鉄橋であり、「鉄の橋」として市民に親しまれるとともに、文明開化のシンボルとして錦絵に描かれるなど大変人気を集めました。現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

関内と関外の境目だった吉田橋関門跡の案内板

安政六年(一八五九)六月二日、横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことより「吉田橋」と呼ばれました。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

神奈川県立歴史博物館にある発掘された大砲の案内板

この大砲は、旧山下居留地90番(現在の横浜市中区山下町90番地)地中から、昭和34年にオランダ製の11ポンド砲とともに出土した帝政・シア製の32ポンド砲です。出土地では、かつてスイスの商社シーベル・ブレンワルト商会(慶応元・1865年創立)が営業していました。