• 2020年5月24日
  • 2020年7月11日

今では東京藝術大学の立派な石造り旧富士銀行横浜支店

ルスティカ積みの外壁に、ドリス式オーダーの付柱と半円形窓が組み合わされて配されている。当初は安田銀行横浜支店として建てられた。安田銀行は大正末から昭和初期にかけて、ほぼ同じスタイルで各地に支店を建てているが、これはそのなかでも最大規模かつ、希少な現存例。

  • 2020年5月23日
  • 2020年7月11日

町の裏路地にある大事件!井土ヶ谷事件の跡

井土ヶ谷事件とは生麦事件と同じく外人殺傷事件で、現場の地名をとって仮称したものです。文久三年九月二日(一八六三年十月十四日)お昼ごろ、井土ヶ谷村字下之前でフランス士官カミュが浪人体のものに殺害されました。

  • 2020年5月23日
  • 2020年7月11日

遠藤於菟の晩年の大作 旧生糸検査所の案内板

「キーケン」の名で親しまれていた建物。耐震耐久性の問題から解体されたが、極力創建当時の状態に復元し、新築、再生を図った。震災復興期の建築としては最大規模を誇り、横浜ゆかりの建築家 遠藤於菟の晩年の大作である。

  • 2020年5月23日
  • 2020年7月11日

コンビニ前の開国当時の元浜町案内板

安政6年(1859年)6月横浜開港以降、「関内」地区は神奈川運上所(現神奈川県本庁舎の位置)の東側を外国人居留地、西側を日本人居住地としていた。この地は古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859年)の横浜開港に際して新設され「海辺通」と町名を付けられた。その後、明治4年(1871年)4月にこの地先の海岸を埋め立て、その地を「海岸通」とされたため、元の「海辺通」は「元浜町」と改称された。

  • 2020年5月22日
  • 2021年2月5日

桜木町にある関東のお伊勢さま伊勢山皇大神宮で疫病鎮めの御札をいただきました

新しいバイクに交通安全お守りをと思い、病院のついでに桜木町にある伊勢山皇大神宮へ行ってきました。 コロナということもあり境内には人は殆ど居なく、とても広々としていました。 近くにある成田山横浜別院へは、小さい頃に何度も池の亀を見に行っていた […]

  • 2020年5月22日
  • 2020年7月11日

東神奈川にあるバー初心者でも安心のおすすめバー&カフェ メリオールエテルノ

東神奈川・仲木戸(現在では京急東神奈川駅)の周辺は飲み屋街としても有名な地です。数多あるお店の中から特にオススメしたいのが、カフェメリオールエテルノ(Cafe Melior Eterno)。もともと六角橋の神奈川大学近くにあったジャズバーで、東神奈川へ移転後は、昼はカフェランチ、夜はバーというスタイルで営業されています。

  • 2020年5月21日
  • 2020年7月11日

赤レンガ倉庫のすぐ横にある旧税関事務所遺構

これは大正3年(1914)5月に建設された税関の事務所遺構です。レンガ造りスレートぶき、3階建のゴシック様式の建物でしたが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災により床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋めもどされて荷さばき用地となっていました。「赤れんがパーク整備」のための工事のさいに発見され、現在、花壇として利用しています。しゅん工時、1階には「硝子張天井」のホールと受付カウンター、2・3階には事務室や応接室、外航船や荷役のための貸事務所がありました。ガス暖房や電気照明も完備されていました。

  • 2020年5月20日
  • 2020年7月11日

横浜都市発展の要横浜赤レンガ倉庫を知る3つの案内板

赤レンガ倉庫は、東洋で初めて築造された近代ふ頭である「新港ふ頭」に、輸出入される貨物を税関が管理する倉庫として、国(大蔵省)によって建設されたもので、耐震・耐火構造を採用した当時最新鋭の倉庫でした。創建時から戦前までは横浜税関が管理し、葉煙草、羊毛、光学機器などの輸入品を取扱っていましたが、戦時中は陸海軍の輸送司令部が管理し、戦後は米軍の港湾司令部として使用されました。