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「歴史」の検索結果76件

  • 2020年6月1日
  • 2020年11月17日

霧笛楼の仏蘭西瓦とファニーの像 ジェラール瓦を叩いてみれば、文明開化の音がする

ここに展示してある2枚の瓦は、日本初の西洋瓦として元町の地で製造されたものの一部です。美しいレリーフで飾ったこのフランス瓦はその製造者であるフランス人技師アルフレッド・ジェラール(Alfred Gérard)にちなんで「ジェラール瓦」と呼ばれています。

  • 2020年5月31日
  • 2020年9月14日

日本最古のトラス橋は南区役所の裏にある浮舟水道橋

この結合方式のトラスは、明治中・後期にしか見られないもので、わが国に残されている最古のピン結合トラス式の道路橋として、大変貴重な存在です。今から約100年前の明治26年、神奈川県の土木技師・野口嘉茂の設計により、中村川下流の「西の橋」がトラス鉄橋に改築されました。

  • 2020年5月28日
  • 2020年9月14日

桜の季節に来てほしい日ノ出町が生んだ文芸作家 長谷川伸の碑

新コは明治十七年、この土地、日の出町の大岡川にかかる黄金橋のたもとで生まれた。生家『駿河屋』はヨコハマ市街地建設のため野州から移住してきた請負業である。新コはこの地で関八州の渡り職人衆から渡世の礼儀を学び、また神奈川県自由民権運動の魁、相州真土村騒動の指導者たちから、民衆の側に立って闘う男の姿を学んだ。

  • 2020年5月28日
  • 2020年9月14日

こんな場所で船を作っていた!?横浜船渠会社(三菱重工業横浜造船所)正門

かつてこの付近には「ハマのドック」の名で親しまれた横浜船渠(せんきょ)会社(後の三菱重工業横浜造船所)の正門があり、数多くの人がこの場所を行き来しました。貨新線の「みつびしどっく踏切」という踏切名称にその名残を見ることができます。みなとみらい21地区には横浜船渠会社の遺構として、日本丸メモリアルパーク(第一号ドック)、ドックヤードガーデン(第二号ドック)などが残されています。

  • 2020年5月28日
  • 2020年11月28日

みなとみらいは海だった。西区の埋立の歴史を知る

江戸時代、現在の桜木町やみなとみらい21地区、横浜駅周辺はすべて海でした。安政6(1859)年、東海道と開港場をつなぐ横浜道が野毛の山を切り開いて築かれ、戸部の高台には神奈川奉行所が設けられるなど戸部・野毛の丘は開港期の横浜の発展を担う日本人の拠点となりました。

  • 2020年5月25日
  • 2020年7月11日

横浜の水道は野毛山にあり野毛山貯水場跡で歴史を知ろう

明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。

  • 2020年5月24日
  • 2020年7月11日

歴史の教科書でも有名な生麦事件の地3ヶ所を巡ってみた

文久二年八月二十一日(西暦一八六二年九月十四日)、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。

  • 2020年5月24日
  • 2020年11月13日

横浜のサグラダファミリア3代目横浜駅の歴史を知る

現在の横浜駅がある辺り一帯は、江戸時代の終わり頃まで入江が深く入り込む浅瀬でした。駅周辺地区は、明治5(1872)年、新橋と横浜の間に鉄道が開通するのに合わせて、実業家高島嘉右衛門が、入江の先をまっすぐに通り抜ける線路敷とその辺り一帯を埋め立てできた土地です。