- 2020年5月17日
- 2021年2月5日
牛頭天王伝説のある神明宮の案内板【神奈川宿歴史の道その25】
神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。『新編武蔵風土記稿』は別当能満寺の草創と同じ正安元年(一二九九)の勧請としており、この神社と能満寺が草創当初より極めて密接な関係にあったことを伺わせる。
神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。『新編武蔵風土記稿』は別当能満寺の草創と同じ正安元年(一二九九)の勧請としており、この神社と能満寺が草創当初より極めて密接な関係にあったことを伺わせる。
東光寺は、平尾山と号し、新義真言宗に属す。この寺の本尊はもと太田道灌の守護仏であったが、道灌の小机城攻略後、平尾内膳がこの仏を賜り、この寺を草創したといわれる。
金蔵院は、京都醍醐寺三宝院の開祖勝覚僧正により平安末期に創られた古刹である。その後、徳川家康から十石の朱印地を許された。
熊野神社は、平安末期に紀伊の熊野権現を祀り「権現様」として親しまれている。もと権現山(幸ヶ谷山上)にあったが、江戸中期に金蔵院境内に移り、神仏分離令により金蔵院から分かれた。
成仏寺は、鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺である。徳川三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地が現在地に移された。
曹洞宗宗興寺は、上の「神奈川駅中図会」では権現山の麓に描かれている。開港当時、アメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士がここに施療所を開いた。これを記念する石碑が境内にたてられている。
浄瀧寺は妙湖山と号し、日蓮宗に属す。文応元年(一二六〇)妙湖尼は、当時の政治の中心地であった鎌倉に向かう途中に当地に立ち寄った日蓮聖人と遇った。
洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祠ったことに始まると伝えられている。
普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことより起こった。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。
甚行寺は、真色山と号し、浄土真宗高田派に属す。明暦二年(一六五六)第一世意圓上人が本山専修寺の第一四世鶏秀上人を招いて、この寺を草創したと伝えられる。