- 2020年5月17日
- 2020年7月12日
本覺寺の案内板と全国塗装業者合同慰霊碑の由来【神奈川宿歴史の道その9】
本覺寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属していたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(一五三二)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。
本覺寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属していたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(一五三二)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。
三宝寺は、瑠璃光山と号し、浄土宗に属す。慶長二年(一五九七)に叙した嘆誉和尚の草創である。弘法大師の作と伝えられる薬師如来立像を本尊としていたが、関東大地震で被害を受け、第二次大戦で焼失した。現在の本尊は、その後、東京芝の大本山増上寺より遷座したものである。
この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
妙蓮寺縁起 当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である 当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明 […]
篠原八幡神社は御鳥羽院の建久三年(西暦一、一九二年)に武蔵国太知波奈郡(橘樹郡)鈴木村の鎮守として鎌倉鶴岡八幡宮より歓請され鶴崎八幡と奉称し同村会下谷に始めて鎮斉された。寛永八年(西暦一、六六六年)更に社殿の再建されるに及び若宮八幡と奉称した。
東林寺の本尊は十一面観音菩薩です。終戦の昭和二十年五月二十五日午後十一時半房総半島より侵入したB29の編隊が東京を爆撃し横浜上空を通過して相模湾より退去した際 岸根公園の陸軍高射砲陣地より砲火が火を吹いたのです。
菊名池弁財天 祭神 市杵島姫命 七福神中唯一人の女神であります 弁財天のお姿は一般には琵琶をお持ちになって居ますが この弁財天は右手に剣を左手には宝玉をお持ちになりお顔は美しく気品と愛敬がおありです 剣は魔を払い交通安全 家内安全を現し宝玉 […]
この墓標は、正面唐破風屋根付の位牌型墓標で、俗体の男女像が浮彫されています。刻銘によれば、男女は桓武天皇二十九代で三浦氏を名のる由緒ある家系の夫妻で、亡夫の墓標を造立するに当たり、妻は逆修(生前に仏事を行うこと)して連理の契をあらわしたものであることが知られます。
当寺は慶安二(一六四九)年、大曽根の大乗寺第三世生外意鉄大和尚が創建された。本尊は薬師如来で伝えるところでは行基作という。十二年寅年の四月にしか扉を開かないという秘仏である。宗派は禅宗で曹洞宗に属し本山は永平寺、總持寺である七福神の中の布袋尊をまつり正月の初まいりは賑やかである。この方は中国の禅僧であったという。この寺にまつられている仏さまは他に高租承陽大師、太租常済大師、達磨大師、大元菩薩、十六羅漢、観世音菩薩、毘沙門天等があり境内には如意輪観世音、地蔵尊、山門には六地蔵、青面金剛が祀られている本堂正面には薩摩藩主嶋津斉宣公の筆による瑠璃光明界の額がある。この他、古い掛け軸や書物等が保管されている。なお当寺の歴代住職のなくなられた年月日は次の通りである。