東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。
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