上台橋上からの風景

上台橋の案内板【神奈川宿歴史の道その1】

神奈川宿歴史の道一覧はこちらです。

上台橋風景

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神奈川宿歴史の道

上台橋案内板

東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。

上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。

右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。

かつてこの上台橋のあたりは、潮騒の聞こえる海辺の道であった。

切通の道路ができるとともに、昭和五年ここに陸橋が架けられた。

この神奈川が一躍有名になったのは安政元年(一八五四)の神奈川条約締結の舞台となったからである。

その四年後に結ばれた日米修好通商条約では神奈川が開港場と決められた。開港当時、この図に見られる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。

神奈川宿歴史の道はほぼこの図の範囲を対象とし、上台橋から神奈川通東公園に至るおよそ四キロの道のりとなっている。

神奈川宿めぐりその1

上台橋上からの風景

神奈川宿めぐり第1回目は発行されている“神奈川宿歴史の道”ガイドの1番最初に掲載されている上台橋からスタートしました。

反町方面から横浜駅の方に向かい上台橋を探したのですが、横浜に住んでいながら実際に見つけるとなると案外迷うものですね。

一生懸命下を見ながら橋らしきところを探していたのですが、上台橋は頭の上を通っていました。歴史の橋ではあるのですが、街に馴染んでいて、調べてみて初めて歴史的建造物なんだと知るような印象でした。

記述でも昭和五年に架けられたとのことで、とても古い橋かというとそうでもないかもしれません(横浜の橋巡りもしてみたいな)。

さて、ここから29箇所ほど説明板が立てられている場所を巡ってきたので随時更新していきます。

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上台橋上からの風景
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