馬車道のデイリーヤマザキ前に設置された顕彰碑です。
ゴールドジムがあるためか、駐輪が多く、ベンチで喫煙する人がいたりなど、馬車道の中でも荒れた場所です。
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日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖(一八一三〜一九一四)
伊豆下田に生まれる
嘉永元年(一八四八)オランダから長崎へダゲレオタイプ一式が渡来した。
弘化二年(一八四五頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術習得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
蓮杖は、来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久二年(一八六二)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応三年(一八六七)太田町五丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影樓」の看板を掲げた写真館を開き大繁昌をした。
数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。
その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥一二五周年、日本写真の開祖写真師下岡蓮杖顕彰碑を昭和六十二年(一九八七)建立をみたのである。
顕彰碑 下岡蓮杖顕彰碑建立実行委員会
碑文 横浜市写真師会設立百周年記念実行委員会
平成二十二年(二〇一〇)六月一日