妙蓮寺

桂歌丸のお別れの会が行われた妙蓮寺と妙蓮寺ニコニコ会沿革の石碑

妙蓮寺
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妙蓮寺縁起

妙蓮寺縁起

当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である

当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺 浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ

蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である

そして両山は明治四十一年八月八日此の地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった

妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する

ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した

昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂となる客殿を完成し、その後、庫裡、客殿を増築した

平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備 墓地区画整理を完了し現在に至る

当山歴代住職を次に記す

合併開山慈性院日體上人貫名日體
第二世慈開院日偉上人山本日偉
第三世慈篤院日仙上人山本日仙
第四世慈照院日英上人山本日英

建立 平成二十年十一月吉日

妙蓮寺ニコニコ会沿革

妙蓮寺ニコニコ会沿革

大東亜戦争の戦火を逃れた当地区商店主達が集まり、戦後の復興と地域の発展を目指し、昭和二十三年に商店会を発足し、名をニコニコ会とした 当時の加入店舗数は四十一を数えた

発足翌年の昭和二十四年より境内で開催された御会式や花祭りなどの行事を通じ妙蓮寺に多大なる貢献をし、昭和二十年代後半には今もなお幾度の建て替えを経て増設され現存する街路灯を昭和五十二年から妙蓮寺境内にて朝市を開催、昭和五十三年には商店街沿道である旧綱島街道上にニコニコ会アーチを建設、現在も時計塔としてその面影を残す

現在の会員数百余店舗

長きにわたり地域に根ざした商店街として発展する

歴代会長を次に記す

初代佐野常太郎さのや
二代亀ケ谷信之亀ケ谷薬局
三代山岡増衛凮月堂
四代柿沢喜実雄喜久屋
五代佐野大治郎さのや
六代石井航治田丸屋
七代望月力明三吉野
八代横山清和染乃よこやま

建立 平成二十年十一月吉日

妙蓮寺敷地内

妙蓮寺は斎場があり、とても広い駐車場を有しているので、よくお葬式が行われているイメージです。
2018年7月2日に慢性閉塞性肺疾患で亡くなられた笑点の永世名誉司会者、桂歌丸さんのお別れ会も妙蓮寺で行われました。
本殿裏には滝が流れて良い雰囲気になっています。
紹介した2つの石碑は妙蓮寺の境内ではなく、東急東横線妙蓮寺駅の横浜方面出口横に設置されています。

余談ですがIngressの青軍ファームになっているので、管理人はちょいちょいアイテム集めでお世話になっているエリアです。

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