篠原八幡神社

逃げ恥最終回の舞台にもなった篠原八幡神社

篠原八幡神社

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由緒 篠原八幡神社

由緒 篠原八幡神社

御神及変遷

篠原八幡神社は御鳥羽院の建久三年(西暦一、一九二年)に武蔵国太知波奈郡(橘樹郡)鈴木村の鎮守として鎌倉鶴岡八幡宮より歓請され鶴崎八幡と奉称し同村会下谷に始めて鎮斉された。

寛永八年(西暦一、六六六年)更に社殿の再建されるに及び若宮八幡と奉称した。

当時、鈴木村代官は伊奈半十郎との記録がある。後に鈴木村は篠原村と改称され、社名も八幡大神と奉称された。天保六年(西暦一、八三五年)神殿の再建の為十年の年月を要したと謂われ現在の神殿構造は当時のものである。

大正十二年九月一日関東大震災の為被害を受け拝殿に傾きを生じ昭和三年拝殿の再建が行われ此のとき往右の草葺屋根を拝殿のみが始めて銅板葺と改められた。

昭和四十八年、篠原築(十町会)住民篤志者の淨財により本殿幣殿の修復工事実施に伴い、屋根は全部銅板葺となり郷土唯一の文化財として其の尊厳と美観を維持するを得たのは地区住民の喜びである。

御祭神誉田別命(応神天皇)

御事蹟は古事記や日本書紀に詳述されて居ります。命は極めて慈悲深く、勇武の方であられたと謂われて居ります。

神話によれば生まれながらにして歩き、御成長に従い、いよいよ逞しく身の丈七尺余り。

衆に秀でた偉丈夫となり、一生涯一度の病気もなさらずお齢も百十歳迄長生きされたとの伝説があります。

このような御祭神でありますので昔から子育て八幡と謂われ、村人は子供が丈夫に育つように祈り、又、戰に臨む者は武運長久を祈って出征する者が多く永い間世人の信仰を得たのであります。

宝物「宮殿」

鎌倉時代の作と謂われ文化財指定申請の勧告を受けて居ります。

例大祭 毎年八月最後の土曜・日曜日

ささがねの篠原の岡の頂き篠原八幡神社の正面鳥居

ささがねの篠原の岡の頂き篠原八幡神社の正面鳥居

冬至の日の早朝
ギラリと抜き出された
日本刀のように
朝日が昇り
光はまっすぐ参道を走って
拝殿奥の鐘を照らす

鏡からも朝日が照り返し
人々はその時そこに
選ばれて居合わせている幸せを
つかのまあじわう

進藤彦興

「詩でつづる日本神社百選」
平成二一年五月吉日

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編集後記

この篠原八幡神社はTBSドラマの“逃げるは恥だが役に立つ”の最終回の縁日シーンで撮影に使われました。
逃げ恥はこの近辺で撮影を多くしていましたが、一度もガッキーに会うことは出来ませんでした……。

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篠原八幡神社
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