本尊十一面観音菩薩の奇蹟

観音菩薩の神通力で爆撃回避した新横浜の東林寺

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本尊十一面観音菩薩の奇蹟

本尊十一面観音菩薩の奇蹟

東林寺の本尊は十一面観音菩薩です。終戦の昭和二十年五月二十五日午後十一時半房総半島より侵入したB29の編隊が東京を爆撃し横浜上空を通過して相模湾より退去した際 岸根公園の陸軍高射砲陣地より砲火が火を吹いたのです。

恐らくこの高射砲陣地を目あてにB29より数千発の焼夷弾が雨あられと降りそヽいで 当時藁屋根の東林寺本堂上空に一斉降下したのです。

夜半当時住職一人鉄兜、国民服、ゲートル姿で本堂前に立って観音経を念じていたのです。

肉眼で見て上空三〇〇米か二〇〇米、夜のことで判明しませんが四十角度その火の玉が一斉に左側にそれたのです。ほんの一瞬の出来事でした。

そして東林寺本堂から四米はなれた墓参用井戸より山にかけ南側山林方面に降下して火災の難をのがれたのです。

このことは観音菩薩の神通力としか考えられません。皆様のお初参詣の折には是非共手を合わせて霊験あらたかな十一面観音様の御加護を受けられるよう願い上げます。

昭和五十九年一月
東林寺二十五代 東 潤

稲荷堂

稲荷堂

江戸後期嘉永三年頃椎橋家五代当主椎橋忠兵衛(文化5年〜明治十七年・一八〇八年〜一八八四年)により大豆戸村安山の屋敷内に屋敷神として建てられたもので、総◯造り、彫刻が見事で当時の宮大工の技量の高さが忍ばれる。(元は茅葺きであった。)

今回椎橋家(安山本家と呼ばれ、江戸時代より大豆戸村に居を構え代々名主をつとめ、当臨時の檀信徒であり四代太一郎は当時の東林寺造営に貢献した。八代淳一以降は医業をなしている。)からの奉納によりここに移築された。

平成九年十月吉日
奉納者 椎橋忠男

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編集後記

『このことは観音菩薩の神通力としか考えられません。』

なかなかパンチのある事を記載しているお寺さんでした。
新横浜か岸根公園駅から歩いて10分程度、なのでアクセスは良いです。ちょっと裏道を通るのでそこだけ注意。

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