公園開設以前のようす(明治〜大正期)
現在の山下公園通り(当時は海岸通りと呼ばれていました)は海に面していて、散歩道としても多くの人に親しまれていました。
1871年(明治4年)横浜弌欄之真景(改訂版)
橋本玉蘭斎(貞秀)画
横浜開港資料館所蔵
当時も多くの船が航行していた様子がうかがえます。
洋館が建ち並び異国情緒があった海岸通り
横浜開港資料館所蔵
公園開設(昭和5年)
1923年(大正12年)の関東大震災のため、海岸通り前の海は瓦礫の山となりました。
そして、震災復興事業の一つとして、ここに公園をつくることになり、昭和5年日本初の臨海公園、山下公園が誕生しました。
山下公園誕生前夜
横浜開港資料館所蔵
瓦礫が無秩序に投棄された海岸線
1930年(昭和5年)
開設当時の山下公園
横浜開港資料館所蔵
中央の噴水広場と左側(西側)の芝生広場は、現在も開園当初の基本形態が残っています。
1930年(昭和5年)開園当時の平面図
1935年(昭和10年)3月には震災復興を祝う復興博覧会が開催されました。
多くのパビリオンが立ち並び、公園前の海面ではクジラも展示されました。
1935年(昭和10年)横浜復興博覧会絵図
横浜開港資料館所蔵
山下埠頭臨港鉄道線の建設と撤去
1965年(昭和40年)に、山下埠頭臨港鉄道線(国鉄貨物線)が開業しました。
公園内を高架で通過する計画には着工前から大佛次郎ら文化人が景観を損ねると反対しましたが、計画通り高架でつくられました。
その後、貨物の取扱量の減少から、1986年(昭和61年)に臨港鉄道線は営業を中止し、2000年(平成12年)には高架の構造物が撤去されました。
また、この撤去に合わせ、公園と街(山下公園通り)との景観の一体化を図ることなどを目的に、公園の再整備が実施されました。
2002年(平成14年)3月撮影
港(公園)と街が分断されている
1999年(平成11年)12月撮影
1985年(昭和60年)頃の平面図(着色してある部分が臨港線の高架の構造物を示します。)
平成14年3月横浜市緑政局制作