桜木町駅

初代横浜駅は桜木町駅だった 鉄道に貢献した人々

2020年6月8日に『鉄道事業に貢献した人』を追記しました。

創業当時の横浜駅碑

創業当時の横浜駅の記念碑が、桜木町駅の裏に隠されていました。

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創業当時の横浜駅案内板

日本で初の鉄道を作るために明治3年(1870年)に鉄道資材を英国から購入し横浜港で陸揚げされ建設が始まった。

その2年後の明治5年(1872年)5月7日、この地に初代横浜駅が建設され、横浜、品川間に最初の鉄道が開業した。

この鉄道創業の地を象徴して昭和42年(1967年)10月13日に記念碑が竣功した。

その後、昭和63年(1988年)12月に現在の位置に移設され、当初記念碑のあった位置に原標を置いた。

平成26年7月
公益財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー

桜木町はよく歩いているのですが、こんな裏側にあったとは思いませんでした。
裏道なので、普通の人は通らないルートですね。

鉄道発祥の地案内板

明治5(1872)年、品川―横浜間で日本初の鉄道事業の仮営業(本営業は新橋一横浜間)が開始されました。現在の横浜駅から桜木町駅までの土地は埋立により造成され、初代横浜駅(現桜木町駅)が置かれました。

鉄道資機材は横浜港から陸揚げされ、横浜から工事が進められました。駅舎は米国人建築家R.P.ブリジェンスにより設計され、ほぼ同じデザインの新橋駅と初代横浜駅は双子の駅と称されました。

鉄道事業にはエドモンド・モレルをはじめとする外国人技師が携わり、現在の掃部山(かもんやま)公園には外国人技師の拠点となる官舎が建てられました。

掃部山は鉄道開業後も鉄道院用地として利用され、山の地下水が鉄道用水に用いられたことなどから、当時は「鉄道山」と呼ばれていました。

明治20(1887)年に横浜―国府津間が開通し、初代横浜駅は中間駅となりました。この際行われたスイッチバック運転は輸送能率が悪かったため、貨客利用の増加に合わせ、大正4(1915)年には現在の高島町駅付近に横浜駅を移転し、初代横浜駅を経由しない新路線が整備されました。

あわせて初代横浜駅は桜木町駅へと改称されました。大正7(1918)年には2代目横浜駅と桜木町駅間が高架化され、桜木町駅は京浜線(現在のJR根岸線)の専用駅になりました。

大正12(1923)年には、震災により桜木町駅(初代横浜駅)は駅舎を失いますが、昭和2(1927)年に移転開業した3代目横浜駅と共に新たな駅舎が建てられました。

現在の駅舎は平成元(1989)年に建てられました。

平成16(2004)年、みなとみらい線の開通により、東横線の桜木町駅が廃駅となりました。それにともない、桜木町駅の整備が行われて、平成26(2014)年には北改札が新たに開設されました。

横浜停車場

絵葉書「横浜停車場」(明治末〜大正初期)(横浜開港資料館所蔵)

初代横浜駅に停車する列車

初代横浜駅に停車する列車(横浜開港資料館所蔵)

横浜停車場遠景

横浜停車場遠景(明治初期撮影)(長崎大学附属図書館所蔵)

In 1872, Japan’s first railway began provisional operations between Shinagawa and Yokohama prior to the formal opening of the route between Shimbashi and Yokohama.

Construction of the line had begun at Yokohama, using railway equipment and materials unloaded at the port. The area from the current Yokohama Station to Sakuragicho Station had been reclaimed, and the first Yokohama Station (currently Sakuragicho Station) was built.

The station building, designed by the American architect R. P. Bridgens, and Shimbashi Station had almost the same design and were described as ‘twin stations.’

Official residences for foreign engineers involved in creating the railway, including Edmond Morel, were built at the current Kamon-yama Park, which served as a base of operations for the railway enterprise.

After the railway was completed, Kamon-yama continued to be owned and used by the Railway Board, and groundwater from the area was used as industrial water. It was then called Tetsudoyama (Railway Hill).

In 1887, the railway was extended to Kozu, in Kanagawa Prefecture, and Yokohama Station became an intermediate stop. With a bay platform and switchback structure at Yokohama, efficiency was low.

With increasing numbers of passengers and cargo, in 1915, Yokohama Station was moved close to where Takashimacho Station is now located, and a new line was installed bypassing the first Yokohama Station, which was renamed Sakuragicho Station.

In 1918, the tracks between the second Yokohama Station and Sakuragicho Station were elevated, and Sakuragicho Station was used exclusively for the Keihin Line (now JR Negishi Line).

In 1923, the building of Sakuragicho Station (the first Yokohama Station) was lost in the Great Kanto Earthquake. In 1927, a new Sakuragicho Station was built, while the third Yokohama Station was also being constructed.

The current Sakuragicho Station building was constructed in 1989. When the Minato Mirai Line was opened in 2004, Sakuragicho Station was no longer used as the last stop on the Tokyu Toyoko Line. Thereafter, Sakuragicho Station was renovated and, in 2014, a north ticket gate was newly opened.

桜木町駅の改札口を出た先に、鉄道事業に携わった人たちの説明がありました。

鉄道事業に貢献した人

初代鉄道建築師長 エドモンド モレル
十河信二書
EDMUND MOREL
1841-1871
1956.5.7 横浜市 鉄道友の会

エドモンド・モレル像

エドモンド・モレルは1870年(明治3年)、鉄道敷設を計画していた明治政府により、初代鉄道建築師長として雇用され、イギリスより来日した。
日本の国内事情をくみとりながら鉄道の敷設指導や人材の育成に尽力し、日本の鉄道開業に大きく寄与した。
1871年(明治4年)、激務と病気により鉄道の完成を見ずして他界。
横浜外国人墓地に眠っている。

井上勝
1843年(天保14年)〜1910年(明治43年)

長州藩(現在の山口県)生まれ。1863年(文久3年)、伊藤博文らと渡英し、鉱山と鉄道を研究。
帰国後、鉄道建設の指揮を執り、鉄道開業式では初代鉄道頭として参列。
鉄道の発展に貢献した。

佐藤政養
1821年(文政4年)〜1877年(明治10年)

出羽国(現在の山形県)生まれ。勝海舟の塾や長崎海軍伝習所で蘭学・砲術・測量などを学んだ。
鉄道頭 井上勝を補佐する鉄道助となって多くの業績を残した。

ジョン・ダイアック
生年不明〜1900年

イギリス人技師。建築副役として、モレルの指揮下で新橋〜横浜間の測量に従事。
新橋の「ゼロマイルゼロチェーンの第一標杭」は彼の手で打ちこまれた。
1876年(明治9年)に任期満了。
墓は横浜外国人墓地内にある。

フランシス・ヘンリー・トレビシック
1850年〜1931年

1876年(明治9年)来日。機関方頭取として着任し神戸に勤務した。
新橋へ転勤後、汽車監督となる。1897年(明治30年)満期退職で帰国した。
兄のリチャード・フランシス・トレビシックとともに日本の鉄道発展に尽力した。

桜木町駅

鉄道発祥の地の案内板は、桜木町駅の東京環状道路側CIAL前に設置されています。
広場にポツンと設置されているので、目立つような目立たないような……買い物や仕事の人が多い駅なので、特に読んでいる人は見かけないですね。
今回の初代横浜駅はずっと巡ってみたいと思っていた案内板なので、念願叶った散策でした。

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桜木町駅
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