赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫は、東洋で初めて築造された近代ふ頭である「新港ふ頭」に、輸出入される貨物を税関が管理する倉庫として、国(大蔵省)によって建設されたもので、耐震・耐火構造を採用した当時最新鋭の倉庫でした。
創建時から戦前までは横浜税関が管理し、葉煙草、羊毛、光学機器などの輸入品を取扱っていましたが、戦時中は陸海軍の輸送司令部が管理し、戦後は米軍の港湾司令部として使用されました。
米軍の接収解除後は、1号倉庫を横浜税関が、2号倉庫を横浜市が、それぞれ管理していました。
しかし、海上貨物のコンテナ化とともに次第に取扱量が減少し、平成元年に倉庫としての用途が廃止されました。
横浜市では、この赤レンガ倉庫を、貴重な歴史的建造物として保存し、「港の賑わいと文化を創造する空間」として活用するため、平成4年に国から取得し、保存・活用工事を進め、平成14年4月に商業・文化施設としてオープンしました。
Aka-Renga Soko
These warehouses were built on the first modern pier constructed in the East Asia called “Shinko Pier” for Yokohama Customs to control import and export of goods through the Port of Yokohama. These warehouses were the most advanced warehouses at the time being constructed with earthquake-resistant and fireproof structures.
Yokohama Customs had controlled imported goods such as leaf tobacco, wool and optical instruments in these warehouses until World War I began. During the war, the Japanese Army and Navy used them. Then, the U.S. forces controlled them after the war. At the end of the U.S. forces’ requisition, No.1 wareh returned to Yokohama Customs and No.2 was left to the City of Yokohama.
However, they were no longer to be used as the warehouses since 1989, because of expansion of the containerization of the marine transport.
The City of Yokohama restored them by acquiring from National Government to preserve as one of the important historical buildings and make them as a symbol of the lively and cultural port. In April 2002, these warehouses welcomed its grand open as Aka-Renga Soko.
1905 明治38年12月 | 横浜税関及び大蔵省により新港ふ頭第一期工事(海面埋立工事)竣工 |
1911 明治44年3月 | 大蔵省により新港ふ頭第二期工事(海面埋立工事)竣工 |
1911 明治44年5月 | 赤レンガ2号倉庫竣工(横浜税関が管理) |
1913 大正2年3月 | 赤レンガ1号倉庫竣工(横浜税関が管理) |
1917 大正6年11月 | 大蔵省により新港ふ頭陸上設備工事竣工(新港ふ頭の完成) |
1923 大正12年9月 | 関東大地震により、1号倉庫が半壊し、現在の大きさに |
1945昭和20年9月 | 終戦により新港ふ頭が米軍に接収される |
1956昭和31年5〜8月 | 新港ふ頭の大部分が接収解除される |
1989平成元年 | 赤レンガ倉庫、倉庫としての用途廃止 |
1992平成4年3月 | 横浜市が大蔵省から赤レンガ1号、2号倉庫及び2棟間広場を取得 |
2002平成14年4月12日 | 赤レンガ倉庫グランドオープン |
横浜赤レンガ倉庫のあゆみ
横浜赤レンガ倉庫の歴史は、保税倉庫(横浜税関新港埠頭1号倉庫、2号倉庫)として明治政府によって創建されたことから始まります。
当時としては最新鋭の荷役用エレベーターや消火水栓などを備えた国の模範倉庫であり、横浜港の物流の中心拠点として活躍、横浜の都市発展において重要な役割を果たしてきました。
その歩んできた時間の中には、関東大震災や第二次世界大戦・横浜大空襲、そして戦後のGHQによる接収など困難もありましたが、赤レンガ倉庫はどの時代にも横浜港のシンボルとして市民の記憶に刻まれてきました。
第二次世界大戦後しばらくすると、貨物のコンテナ化が進み、他に高機能で大型のふ頭の整備が進む中、新港ふ頭そして赤レンガ倉庫の貨物取扱量も減少し、1989(平成元)年、ついに倉庫としての用途を廃止することになりました。
横浜市は、「ハマの赤レンガ」として横浜市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を歴史的資産として継承していくために国から取得し、補強・改修工事を行いました。
そして、2002(平成14)年4月12日、「港の賑わいと文化を創造する空間」をコンセプトとする施設として生まれ変わった赤レンガ倉庫は、横浜を代表する人気スポットとして皆さんに愛」され、また常に新しい文化を発信する場として注目を集めています。
The history of the Red Brick Warehouse started when the Meiji government constructed it as a bonded customs warehouse at Shinko (meaning “New Port” in Japanese) pier. Being a national model warehouse which incorporated such innovative features as the elevator for cargo and fire extinguishers, it serves as a logistics hub in the port of Yokohama and played an important role in the city’s urbanization. The Warehouse survived various difficulties including the Great Kanto Earthquake, the World War II, the Great Yokohama Air Raid and the postwar occupation by GHQ, and has always been recognized as a symbol of the Port of Yokohama.
With the shift to containerized shipping and the construction of advanced piers, the cargo volume of Shinko pier and the Red Brick Warehouse decreased. In 1989 it was finally decided to end its function as a warehouse.
The city of Yokohama acquired the Red Brick Warehouse, long cherished by citizens of Yokohama, from the Japanese government and restored to inherit these buildings as historical property. It was reborn as a facility with the concept of “a space that generate the hustle and bustle and culture of the harbor” on April 12, 2002. Since then the Red Brick Warehouse attracts many visitors as a popular spot in Yokohama and draws attention as a place to create new culture.
1号倉庫(関東大震災復旧後の規模) The warehouse No.1 (in the scale after therestoration from the Great Kanto Earthquake) | 2号倉庫 The warehouse No.2 | |
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建築年 The year of construction | 1908[明治41]年〜1913[大正2]年 | 1907[明治40]年〜1911[明治44]年 |
建築面積 Site Area | 1,953m | 3,887m |
延床面積 Total floor area | 5,575m | 10,755m |
階数 Number of Floors | 3階建て | 3階建て |
長さ Length | 76.0m | 149.0m |
幅 Width | 22.6m | 22.6m |
高さ Height | 17.8m | 17.8m |
実物が確認できる最古級のエレベーター
案内板が掠れてしまって文字が読めないのですが、1910年頃の米国オーチスエレベーター製の荷役用エレベーターです。
バルコニー側に1号館には3基、2号館には2基設置されていましたが、現在では全てが撤去され、1号館のバルコニーに展示されています。
『横浜のみなとみらい21新港地区にある赤レンガ倉庫に保存(木籠は復元)された竣工時のエレベーターである。
日本における初期のエレベーター技術の状況を知る上で貴重な資料である。当時の装置一式が一般に公開された形で保存展示されている。』
という理由で重要科学技術史資料登録台帳第00027号に2009年登録されました。
編集後記
赤レンガ倉庫は2号館の方が大きいんですね。
横浜赤レンガ倉庫のあゆみは赤レンガ倉庫内に展示されていて、デザインをNDCグラフィックスという赤レンガ倉庫直ぐ近くにある創造空間万国橋SOKOのデザイン事務所が制作しています。
デザインディレクターの故中川憲造さんと仕事でお会いしたことがあるのですが、2019年6月20日にお亡くなりになられてしまいました。