平和記念碑

大通り公園の阪東橋寄りに設置されている、横浜大空襲の平和記念碑があります。
関東大震災の案内板や遺構は横浜市内で目立つ場所にあるのですが、なかなか横浜大空襲に関するものは見つからないんですよね……。
かながわ平和祈念館に色々情報があるようなので、今度行ってみようかな。

平和記念碑正面

周りは囲われているため、近くに寄ることができませんが、Photoshopで加工して見やすくしてみました。
本文にスペースが開いていますが、読みやすいように読点を付け加えています。

目次
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平和記念碑 由来之記

平和記念碑 由来之記

1941年12月8日、日本軍の米国真珠湾軍港に対する奇襲攻撃により、大日本帝国は、連合国軍との間に戦端を開くに至った。

その後1945年8月15日に至り、わが民族の滅亡を憂うご聖断により漸く敗戦の日を迎えた。

その間、三年九ヶ月余。政・軍・官の情報統制の下、一般庶民は戦争の実相を知らされること無く、ひたすら盲従を強いられた日々であった。

戦線が次第に日本本土に近づくにつれ、米軍機による空爆は熾烈を極め、国内百数十の都市が軍事施設・民間施設の別なく攻撃を受け、非武装の一般庶民が多数犠牲となった。

横浜はこの間三十数回の空爆をうけた。

特に1945年5月29日白昼、当時世界最大級の重爆撃機B29五百余機、随伴戦闘機P51百余機の連合軍機により、市内は絨毯爆撃を受けること一時間余。

焼夷弾換算四十三万余発の投下により市内は焦熱地獄の様相を呈し、非武装の民衆に万余の犠牲者を生ぜしめた。

この地に戦火止みて既に四十数年の歳月が経過したが、残された遺族の心の傷は今なお癒えることはない。

当時を知る遺族も、その多くは鬼籍に入り、犠牲者達の恒久平和を希望する声なき声を伝うべきよすがとて失われようとしているこの時、遺族縁類倚り相扶け、私財を投じ、心ある市民の合力を得て、平和記念碑建立を発願した。

記念碑回廊中には犠牲者の姓名を彫刻し、そのあいでんたてぃを復活せしめ、共に手をたずさえて平和のメッセージを伝え、全世界において我らが子々孫々に至るまで戦争の惨禍におびえることなく恒久平和を享受出来る世界の実現を願い、惻隠の情を意味する「愛」と、飢餓のない世界を理想とする「平和」の文字を、我らのいのちを議長殿の賛同を得、国会・県議会有志議員諸賢、神奈川県知事殿の「平和記念碑」の彫刻を付し、横浜市からは施設設置許可を受け、この地に恒久平和実現の為の一里塚として、この碑を建立した。

除幕式には、国際連合駐日代表殿、広島市長殿、長崎市長殿、世界各地のビース・メッセンジャー都市主張殿から、多数献辞が寄せられた。

この人類至高の祈りが、志ある人々により継承発展され、犠牲者も平和の使徒の先駆者として、至福の時を、共に迎える日の近きことを信ずる。

1992年5月29日
横浜戦災遺族会
会長 池谷榮一撰

像解説

像解説

像は古代中国殷時代の金文を立体構成したものです
「愛をもって世界の平和を祈念する」

制作 横田七郎

横田七郎さん(1906-2000)は小田原を拠点に活動をしていた彫刻家でした。

清水建設

施工は清水建設株式会社が行ったようです。

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