みなとみらい

これを見れば横浜がわかる横浜のなりたちと歴史年表

横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中)
横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。
どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発展の歴史を一緒に学んでいきましょう。

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横浜のなりたちと歴史

横浜はもともと100戸ほどの家が並ぶ半農半漁の横浜村で、現在の中区本町通りにあたる場所でした。
開港場の埋め立て工事の際、横浜村の住民は現在の元町に移住することになります。

横浜の名前の由来

埋立前の地図

©OpenStreetMap contributors

埋立前の横浜村は地形の通り横に伸びた浜でした。まさにそのままですね。
内海は現在の南太田まで広がっていました。

なぜ横浜村が開港場に選ばれたのか?

開港するにあたり外国人の居住地が必要になります。
日米修好通商条約では神奈川を開港場にする定めになっていましたが、日本人と外国人のトラブルを避けたい幕府は、東海道に直結する神奈川宿と神奈川湊かながわみなとを避けて、開港場を横浜村に設置しました。

内海を埋め立て、今では無くなってしまいましたが、関内の吉田橋の下を通る派大岡川(今では首都高速)を作ることで分断。
出島にすることで現在の関内を関所とし、人や物の出入りを管理するのが狙いでした。

派大岡川

©OpenStreetMap contributors

横に伸びた浜という特徴から、土砂が蓄積し埋め立てやすいというのも利点でした。

どんどん発展していく横浜

開港後は生糸貿易港、商業港、旅客港、工業港として急速に発展していきました。
最初は横浜村でしたが、開港後の日本人居住地が横浜町となり、1878年11月21日の郡区町村編制法に基づき横浜区、1889年4月1日の市政により横浜市が誕生。
2020年の住みたい街ランキング(SUUMO住みたい街ランキング2020 関東版)にて、3年連続1位となっています。

横浜の歴史年表

737年 横浜市最古の寺弘明寺創建
弘明寺観音は大正4年8月10日に国指定重要文化財に指定された歴史あるお寺です。
横浜市指定有形文化財の木造黒漆花瓶や弘明寺梵鐘など貴重なものがあり、大岡川の桜の季節には大変賑わいます。

横浜最古のお寺はここにあり!弘明寺商店街を抜けて弘明寺観音へ行ってみた

1832年 高島嘉右衛門誕生
嘉右衛門は、天保三年(1832年)、江戸に材木商の子として生まれ、開港後の横浜で成功を収め、明治二年、政府は新橋・横浜間(現在の汐留・桜木町間)の鉄道建設を計画しました。
嘉右衛門がこの難工事を請け負い、高島台から数千人の人々に指示を出して、政府との約束の期間内に見事に工事を成功させました。

かえもん公園の案内板【神奈川宿歴史の道その5】

1854年 日米和親条約(神奈川条約)
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村で締結し、神奈川条約ともいわれています。
この条約により鎖国体制だった日本は下田と函館(当時は箱館)を開港しました。
アメリカ側の全権はあのペリーです。

上台橋の案内板【神奈川宿歴史の道その1】

1858年 日米修好通商条約
1858年7月29日(安政5年6月19日)に日本とアメリカ合衆国が結んだ条約で、ハリス条約ともいわれています。
神奈川沖小柴に浮かぶポーハタン号上で結ばれました。
第三条では神奈川(下田は閉鎖する)・長崎・新潟・兵庫・江戸・大阪の港を開港するとなっています。
アメリカに領事裁判権を認めるが、日本は関税自主権が無いという不利な内容で、一般に不平等条約といわれています。
1859年 横浜開港7月1日(旧暦6月2日)
諸外国は神奈川の開港を求めるものの、幕府は東海道に直結する神奈川宿と神奈川湊を避けて、開港場を横浜村に設置しました。
6月2日の開港記念日には横浜市立の学校は休校日になる独特の分化があり、横浜開港祭などイベントも多く催されています。
1859年 横浜村を横浜町と改称
横浜村は外国人居留地と日本人居住地に分かれており、間に関所が設けられていました。
外国人居留地側のエリアを関の内側ということで関内と呼び、現在の関内駅周辺の地名の由来になっています。
日本人居住地側は5つの区域に分かれ、横浜町と名付けられました。

関内と関外の境目だった吉田橋関門跡の案内板

1860年 神奈川台場完成
安政六年(1859年)5月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約8,000坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(1860年)6月竣工しました。

案内板が大量にあった神奈川台場跡の案内板【神奈川宿歴史の道その30】

1862年 生麦事件
1862年9月14日(文久2年8月21日)に神奈川県横浜市鶴見区生麦(当時は武蔵国橘樹郡生麦村)で起きた殺傷事件で、薩摩藩主島津茂久の父である島津久光の行列に、騎馬に乗ったイギリス人が乱入し起きてしまった事件。
観光で来ていたともいわれており、悪気はなかったもののコミュニケーションがうまく取れず、日本側が無礼と取り、斬りかかった。
イギリス人は1名死亡・2名重傷し。政治問題に発展し、文久3年7月に薩英戦争が起きてしまいました。

歴史の教科書でも有名な生麦事件の地3ヶ所を巡ってみた

1863年 井土ヶ谷事件
1863年10月14日(文久3年9月2日)に武蔵国久良岐郡井土ヶ谷村字下之前(現在の南区井土ケ谷下町)で起きたフランス士官殺傷事件。
乗馬で井土ヶ谷村に入ってしまったフランス人3名を攘夷派の浪士3名が襲撃をし、カミュ氏1名が死亡。横浜山手外国人墓地に埋葬されました。

町の裏路地にある大事件!井土ヶ谷事件の跡

1867年 象の鼻防波堤築造
幕府は東側の突堤を延長して象の鼻のように弓なりになった防波堤を築造しました。
これが「象の鼻」のはじまりで、この防波堤によって囲まれた水域で行う荷役作業は一気に効率が上がりました。

象の鼻パークに行けば横浜の歴史まるわかり

1869年 横浜為替会社設立
本町三丁目に横浜為替会社が設立。
「為替会社」は、「BANK(銀行)」の訳語であり、わが国近代銀行のはじまりとされ、全国に8社(東京、横浜、京都、大阪、神戸、大津、新潟、敦賀)設立されました。

横浜の発展を支えた横浜為替会社の案内板

1870年 伊勢山皇大神宮 創建
「関東のお伊勢さま」「汽笛の聞こえるお伊勢さま」とも呼ばれ、横浜ならびに横浜港の総鎮守となっています。
1870年4月15日(旧暦)に執り行われた遷座祭では、市を上げて壮大な祭礼が行われ、アイスクリームが世の中に知れ渡りました。
この盛り上がりが横浜の市民であることへ誇りを抱かせ、はまっこ気質に繋がったと言われています。

桜木町にある関東のお伊勢さま伊勢山皇大神宮で疫病鎮めの御札をいただきました

1871年 関門・番所とともに廃止
幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止されました。

神奈川台の関門跡案内板【神奈川宿歴史の道その2】

1872年 初代横浜駅開業
駅舎はアメリカ人のリチャード・ブリジェンスの設計で、リチャード氏は「横浜西洋館の祖」と呼ばれています。
新橋~横浜間に鉄道を開通。
日本最初の鉄道開業区間については、一般新橋〜横浜間であると思われていますが、この区間が開業する4ヶ月ほど前の明治五年の旧暦5月7日に、工事が完了した品川と横浜間で仮開業されています。
1915年に2代目横浜駅が出来たことで、桜木町駅に改称しました。

初代横浜駅は桜木町駅だった 鉄道に貢献した人々

1872年 日本初のガス灯が設置される
高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。

関内ホールにある日本で最初のガス灯レリーフと案内板

1887年 県営水道ができ、野毛山貯水場から市街へ配水
1887年10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生しました。
当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていました。
いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、英国人H・S・パーマーの設計・監督による近代水道の完成によって実現されました。
野毛山貯水場は大正12年の関東大震災で被害をうけて浄水場はなくなり、配水池に創り変えられました。

横浜の水道は野毛山にあり野毛山貯水場跡で歴史を知ろう

1889年 横浜市誕生
1889年4月1日に市制が施行されて横浜市が誕生。初代市長は増田知。
1894年 伊勢佐木・石川・山手の3消防組が誕生
勅令第15号により消防組設置令の公布に基づき、217人が編成されました。

横浜が消防救急の発祥の地だった。日本大通りに残された貯水槽

1894年 横浜港鉄さん橋(大さん橋)が完成
過去には「税関桟橋」「横浜桟橋」「山下町桟橋」「サウスピア」「メリケン波止場」などの名称・呼ばれ方をしていたが、現在では大さん橋に落ち着きました。
1904年 横浜電気鉄道(市電)が神奈川~大江橋間に開通
1904〜1921年まで運行していた民間企業でしたが、その後、横浜市の買収により横浜市電になりました。
1905年 京浜電気鉄道(京浜急行電鉄の前身)が神奈川~品川間に開通
京浜急行電鉄株式会社の本社ビルは現在(2020年5月時点)、横浜市西区高島1丁目にあります。
1908年 横浜鉄道、東神奈川~八王子間に全通
八王子や甲信地方で生産された生糸を横浜へ輸送することを目的として開業。
私鉄でしたが、1917年に国営化され、現在はJR横浜線となっています。
1909年 開港50年記念祭・横浜市歌が制定
ハマっ子かどうかを知るには、横浜市歌が歌えるかどうかとも言われるような歌です。
学校で歌うこともあり、校歌は忘れていても横浜市歌は歌えるという人も多いはずです。
横浜市歌は森鷗外の作詞です。

わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連りそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え

されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ

今はもも舟もも千舟
泊るところぞ見よや
果なく栄えて行くらんみ代を
飾る宝も入りくる港

1911年 横浜赤レンガ倉庫竣工
みなとみらいきっての観光名所で、保税倉庫として建設され、建設当時の正式名称は横浜税関新港埠頭倉庫でした。
国産のレンガを使用し、日本初の荷物用エレベーター・消火水栓(スプリンクラー)・防火扉などを備えた最新鋭の倉庫でした。

横浜都市発展の要横浜赤レンガ倉庫を知る3つの案内板

1915年 2代目横浜駅開業
現在の地下鉄高島町駅付近に2代目横浜駅が開業し、旧横浜駅は桜木町駅になりました。短絡直通線および平沼駅が廃止になり、高島町駅は横浜駅京浜線ホームとなりました。
横浜市営地下鉄高島町駅近くの高島交番裏にあるマンションの敷地内に駅舎遺構があります。

短命幻の2代目横浜駅はマンションの敷地内にあった

1923年 関東大震災
全壊した棟数では東京が1万2000棟に対して、横浜市は1万6000棟でした。横浜市開港記念会館付近には震災後のレンガ壁の遺構が残されており、当時の被害を知ることが出来ます。

町中にある関東大震災の遺構 開通合名会社の煉瓦遺構の案内板

1928年 3代目横浜駅(現横浜駅)開業
1928年 東京横浜電鉄(現東急東横線)が開通
横浜に住んでいる人の言う「横浜」とは一般的に横浜駅周辺のことで、「みなとみらい」はまた別物という考えの方が多いです。
また、駅の工事が常に続いており、日本のサグラダ・ファミリアと言う方もいます。しかし、サグラダ・ファミリアの着工が1882年なので、初代横浜駅(1872年)から考えるとサグラダ・ファミリアが「世界の横浜駅」かもしれませんね。
当時は汽車線ホームのみが設置され、京浜線ホームは設置されていませんでした。そのため、駅の東口に京浜線仮ホームを設置していました。
2015年2月の時点で一駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多で、1日平均の乗降客数は約230万人(2017年度)で、年間乗降客数は約8億3800万人となり、新宿駅、渋谷駅、池袋駅についで世界4位でした。

横浜のサグラダファミリア3代目横浜駅の歴史を知る

1935年 復興記念横浜大博覧会
関東大震災からの復興記念の博覧会で、1935年(昭和10年)3月26日〜5月24日に山下公園を含む山下町一帯で催され、来場者は320万人ともいわれています。
1941年 太平洋戦争
1942(〜1945)年・2005年 横浜事件
第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて生じた雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、約30人が有罪となり4人が獄死した事件です。
戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた。2005年に再審が開始され、罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴判決が下されました。
1945年 横浜大空襲
1945年(昭和20年)5月29日の昼間にアメリカ軍によって横浜市中心地域に対して行われた無差別爆撃で、B-29爆撃機517機・P-51戦闘機101機による約1時間の攻撃で総数43万8576個の大量の焼夷弾を投下。約8千から1万名の死者が出ました。
攻撃目標を東神奈川駅、平沼橋、横浜市役所、日枝神社、大鳥国民学校の5ヶ所に定めて襲撃し、特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ケ谷区星川町、南区真金町地区一帯でした。
前日の5月28日は、アメリカで第三回原爆投下目標地選定委員会が開かれており、横浜は候補地から除外が決定されていました。
1945年 ポツダム宣言
ポツダム宣言受諾後に、連合国軍は横浜港を物資の補給基地として使いました。
1949年 日本貿易博覧会
横浜市で1949年3月15日から6月15日まで開催された日本貿易博覧会。入場者数は360万人になりました。
野毛山公園一帯を会場としていた野毛山会場(第1会場)、反町公園一帯を会場としていた神奈川会場(第2会場)を使用しました。
1950年 横浜国際港都建設法
1950年(昭和25年)10月21日に公布され、同日施行された日本の法律で、神奈川県横浜市を「その沿革及び立地条件にかんがみて、日本の代表的な国際港都としての機能を十分に発揮し得るよう建設」することによって、「貿易、海運及び外客誘致の一層の振興を期し、もつてわが国の国際文化の向上に資するとともに経済復興に寄与」することを目的としています。第二次世界大戦後に制定された特別都市計画法に基づき策定された「復興都市計画」を受け継ぎ、それを発展させて制定された特別都市建設法の1つです。
憲法95条に定められた地方自治特別法の1つであり、1950年(昭和25年)7月30日に国会で議決された後、同年9月20日に住民投票が行われ、その過半数の同意を得て、同年10月21日に公布されました。
1953年 第1回みなと祭
ザよこはまパレードという愛称で呼ばれている仮装パレードです。
第二次世界大戦後に進駐軍が接収していた施設が相次いで日本側へ返還されると、各所に空き地が出現し、廃墟のような荒廃した状態になってしまい、横浜商工会議所が名物行事を企画し開催されました。
1956年 政令指定都市となる
1956年(昭和31年)9月1日に五大都市である大阪市(254.7万人)、名古屋市(133.7万人)、京都市(120.4万人)、横浜市(114.4万人)、神戸市(97.9万人)が指定都市に移行しました。
現在(2020年3月時点)の横浜市は、現在の総人口が日本の市町村では最も多い約375万人になっています。
1958年 開港百年記念祭
開港100年祭が開催され、開校記念日はこの日から横浜市立の学校で休校となりました。
1961年 マリンタワー開業
横浜港開港100周年記念行事の流れの中で、横浜を象徴するモニュメントとして建設され、かつては灯台としても機能していました。
ギネスブックにも最も高い灯台として記録されていました。
しかし、灯台としての機能は重要ではなく、改装工事も必要だったため、2008年7月28日に灯台の機能は廃止されています。
2006年末にいったん営業を終了しましたが、開港150周年の2009年5月23日にリニューアルオープンしています。
2010年4月1日に恋人の聖地に認定されました。

マリンタワー

現在は工事中

1962年 港の見える丘公園が完成
横浜が開港した際にはイギリス軍とフランス軍が当地に駐留しており、日本初のフリーメイソンのロッジも置かれてました。太平洋戦争後もアメリカ軍などが接収していましたが、接収解除後に整備し、1962年(昭和37年)10月25日に風致公園となりました。
戦後に流行した歌『港が見える丘』が名称の由来。数々の楽曲やドラマ・アニメの聖地になっています。
有名なもの

  • いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ
  • オフコース/秋の気配
  • B’z/TIME
  • あぶない刑事
  • コクリコ坂から

など

カップルの聖地港の見える丘公園はジブリの聖地

1962年 横浜文化体育館が完成
横浜文体の愛称で呼ばれています。
卓球大会・プロレス・ボクシング・ボリショイサーカスなどで使用されていました。
プロレスファンにとっては聖地と呼べる場所で、アントニオ猪木vs藤波辰巳などの名勝負が行われました。
1964年 根岸線が桜木町~磯子間に開通
桜木町駅〜磯子駅間(7.5km)が延伸開業し、横浜駅〜磯子駅間が根岸線となりました。関内駅・石川町駅・山手駅・根岸駅・磯子駅が開業。
1964年 東海道新幹線が開通・新横浜駅が誕生
当時は畑や田んぼに囲まれていて、とても今の新横浜駅とは思えない風景が広がっていました。
ターミナル側はとても発展していますが、今でも篠原口側は住宅地や緑が多くなっており、線路を挟んで真逆の風景が広がっています。
1978年 大通り公園・横浜スタジアムが完成
大通り公園は吉田川、新吉田川という運河を地下鉄建設に伴い埋め立て作られました。
下には横浜市営地下鉄が走っています。とても広く長い公園です。少々浮浪者がいるかも……。
横浜スタジアム、通称ハマスタは老朽化した横浜公園平和野球場の跡地に竣工されました。横浜DeNAベイスターズの前身である横浜大洋ホエールズの本拠地でした。
数々の改修工事を行っており、常に進化し続けているスタジアムです。
1982年 国連アジア太平洋都市会議が開催
1982年6月9日〜6月16日にアジア太平洋地域における自治体の都市づくりに関する国際会議が開催されました。
1989年 横浜博覧会・市政100周年・開港130周年記念式典
横浜博覧会は横浜みなとみらい21地区で、横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して開催された博覧会で、横浜博とも呼ばれています。
「宇宙と子供たち」というテーマで開催。
当時博覧会で設置された世界最大だったコスモクロックはクイーンズスクエア横浜の開発が決まっていたため、1997年に解体され、1999年に今の場所に移動されました。
1989年 横浜ベイブリッジ開通
中区本牧埠頭と鶴見区大畔埠頭を結ぶ橋で、橋の上部は首都高速湾岸線、橋の下部は国道357号線になっています。
大型船舶が通過する際は干潮時間帯を狙わないと通過できない問題があります。
2002年 横浜港大さん橋国際客船ターミナルオープン
現在のターミナルは7代目で拡張工事や新築工事などを繰り返しました。
2006年に横浜市港湾局が愛称を一般から公募し「くじらのせなか」という公式愛称が決まりましたが、地元民はもっぱら「大桟橋」と呼んでいますね……。
2003年 海の日 制定
「海の日」は、平成8年(1996)「海の記念日」を踏襲し「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを目的に制定されました。
その後平成15年(2003)の祝日法改正により、7月第3月曜日が「海の日」となりました。

象の鼻パークに行けば横浜の歴史まるわかり

2004年 みなとみらい線開業
東急東横線の横浜駅〜高島町駅〜桜木町駅間が廃止され、みなとみらい線と東横線の相互直通運転が開始されました。
直通運転のため、横浜駅から先へ行くと、いきなり運賃が上がるため注意が必要です。
2009年 開国博Y150開催
会場は、横浜みなとみらい21の中央地区や新港地区周辺がベイサイドエリア、よこはま動物園ズーラシア周辺がヒルサイドエリア、横浜駅周辺から山下・山手地区周辺の市街地がマザーポートエリアというように3つのエリアに分けられ、かなり広い範囲を使用しました。
約28億円の赤字のイベントとなってしまい、イベントの企画運営を委託した企業や入場券販売の契約を結んだ企業とのあいだで相互に提訴になりました。
2010年 APEC首脳会議開催
アジア太平洋地域の持続可能な発展を目的とした域内の全主要国・地域が参加するフォーラムで、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、中国、中国香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、パプアニューギニア、ペルー、フィリピン、ロシア、シンガポール、チャイニーズ・タイペイ、タイ、米国、ベトナムの21か国・地域が参加しました。
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