相変わらず資料館の中には入らないスタイルを貫いています(ウォーキング優先なもので)。
山で歩くのは大変なんですが、何度も元町公園へ行ってしまうんですよね。人が少なく、ほぼ森なので気持ちがいいのかも。
元町公園のご案内
元町公園はショッピングの街元町通りの奥、外人墓地の西隣りに位置する公園で、昭和5年(1930)6月1日に公開されました。この付近は幕末の頃から外国人居留地で、外国人住宅や教会などの洋館がたくさんあった所です。
明治の初め、この地でフランス人ジェラールは山あいから湧き出る天然水を利用し簡易水道をひき、それを外国船に飲料水として売ったり、西洋瓦やレンガを製造・販売していました。
その跡が水屋敷として今も公園の中に残っています。園内はサクラ・シイ・カシ・イチョウなど緑豊かな樹林に囲まれ、起伏に富んだ散策路もあり、四季を通じて情緒のある公園となっています。50mプールは夏場にレジャープールとして利用されています。
エリスマン邸のご案内
エリスマン邸は「現代建築の父」と言われるアントニン・レーモンドの設計で、大正15年(1926)に建てられた建築史上極めて価値の高い洋館です。平成2年、元町公園内に移築・復元されました。
1階は大正時代の洋館の部屋のようすを復元し紹介しています。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがあります。2階では“横浜山手”の歴史やこの地区にある洋館の紹介をしています。写真、図面など洋館に関する資料を展示しています。
エリスマン邸の由来
関東大震災で大きな被害を受けた横浜山手に、大正15年(1926)白い壁と緑のふち取りも鮮やかな西洋館が現れました。
設計したのは日本現代建築の父A.レーモンド。
スイス人貿易商エリスマンの私邸として、山手127番に建てられたものでした。
第2次世界大戦では被害を免れ、所有者が転々としたものの、戦後までその美しい姿を山手の地にとどめていました。
昭和57年(1982)、集合住宅「クレスト山手」建設のため、エリスマン邸は解体されることになりました。
当時の所有者氷川商事の協力により、横浜市が調査を実施したところ歴史的価値の高い洋館であることがわかり、将来の移築復元を期するため、部材が所有者から横浜市に寄付されました。
平成元年(1989)、横浜市はこれを元町公園に移築復元、平成2年春「エリスマン邸」と名付け公開の運びとなったものです。
「横浜らしさ」をつくる、山手の洋館群
横浜山手は、幕末期に外国人居留地として定められ、明治初期にはほぼ現在の区画が整備され、外国人の居住が本格的に始まりました。当時つくられた石積み擁壁(ブラフ積みと呼ばれる)や舟形の側溝、そして区画割りなどが現在に伝えられています。
関東大震災や第2次大戦の被害により、居留地時代の西洋館はほとんど残っていませんが、震災復興期(大正末期〜昭和初期)のものが約70棟ほど現存しています。長崎におけるグラバー邸に代表されるコロニアルスタイルと呼ばれる幕末から明治初期の西洋館群、神戸では風見鶏の家などの明治中後期の重厚・華麗なもの、あるいは函館の和洋折衷とも言える洋館群と比べ、横浜山手の洋館群は軽快で合理的な、現代建築にも通じるものとしての、特徴をもっています。
横浜山手の洋館群は、居留地時代からの歴史と伝統をもつ良好な住宅地、あるいは学校・教会・公園等の教育文化の地として「横浜らしさ」をつくりだしている山手に欠かせない歴史的な財産であるといえるでしょう。
横浜の歴史のある観光場所についても説明がありました。
横浜の歴史を訪ねて
横浜には、開港以来世界の国々との窓口として発展してきた歴史があり、そこに育まれたさまざまな文化が今日まで伝えられています。このエリスマン邸も外国人居留の歴史を物語るものとして復元され、市民の皆さんに公開されています。
また、同じように横浜らしい文化の香りを楽しむことのできる施設が、この周辺には数多く設けられています。散策の足を伸ばし、それらの施設を訪ねてみてはいかがでしょう。
帆船日本丸メモリアルパーク(旧横浜船渠第1号ドック)
明治中期に造られた、日本最古の部類に属する石造りドックを保存し、帆船日本丸を永久保存しています。また、海事・港湾関係の資料展示等をしているマリタイム・ミュージアムも敷地内にあります。
神奈川県立博物館(旧横浜正金銀行本店)
神奈川県下最大の総合博物館。歴史・民俗・美術・動植物等ジャンルも多彩です。建物は明治37年に造られ、石造りの重厚な外壁と大ドームが特徴であり、国指定の重要文化財となっています。(ライトアップも実施)
横浜市開港記念会館
横浜開港50周年を記念して大正6年に建てられた、横浜市のシンボルとも言える公会堂建築の代表。白い花こう岩と赤レンガのストライプ、天然スレートと銅板の屋根・ドームが美しく、そびえる塔は「ジャック」の愛称で呼ばれています。平成元年、国指定の重要文化財となりました。(ライトアップも実施)
横浜税関
「クイーン」と愛称されるイスラム風の塔がある、みなと横浜を代表する名建築。横浜税関は開港以来の歴史をもつが、現在の建物は昭和9年の完成です。輸出入に関するさまざまな資料の展示室もあり、公開されています。(ライトアップも実施)
横浜開港資料館
開港をはじめとする横浜の歴史資料を展示している施設です。新館と旧館があり、旧館は元イギリス総領事館として昭和6年に建設された、由緒あるものです。中庭にある玉楠の木はペリー来航の記念となっています。(ライトアップも実施)
戸田平和記念館(日英7番館)
大正11年に建てられた関東大震災前の外国商館として、今日に残された唯一の建物です。現在は、山下公園通りに面した一部が保存され、展示等が催される施設として使われています。(ライトアップも実施)
氷川丸
昭和5年に建造された、海洋国日本を代表する外洋船です。長く太平洋航路で活躍していましたが、現在では現役を退き山下公園に係留され、市民に公開されています。
山手資料館
明治42年に建てられた日本人住宅の洋館部分。2度の移築をへて、現在はレストランに付属した資料館として公開されています。
イギリス館(旧イギリス総領事館邸)
昭和12年の建築であり、長くイギリス総領事館邸として、使用されてきた大規模な洋館です。現在は横浜市のものとなり、市民がコンサートや集会に利用するための施設となっています。
三溪園
本牧にある日本庭園と古建築を中心とした約17ヘクタールにも及ぶ名園です。横浜を代表する生糸商、原富太郎によって明治39年に開かれました。園内には臨春閣、聴秋閣など10棟の国重要文化財を含む日本建築が移築されています。