元町公園ジェラール水屋敷で横浜西洋煉瓦の歴史を知る

たまに見つけるマジで素晴らしい案内板。ジェラール瓦の事をもっと知りたいと思っていたら、元町公園にある水屋敷に情報がどっさりありました。
森の中ということもあり、案内板は汚れてしまっているのですが、是非綺麗に保管していただきたいレベルです。

あと、横浜市さん……できればジェラール瓦を展示している霧笛楼さんのところにも、この案内板をあげて欲しいです……わりと霧笛楼のジェラール瓦の案内板を見に来ている人がいるので……。

霧笛楼の仏蘭西瓦とファニーの像 ジェラール瓦を叩いてみれば、文明開化の音がする

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ジェラール水屋敷
地下貯水層(上部貯水槽)

昭和63(1988)年、さきに発見されていた下部貯水槽のわき水調査を行った際、上部水槽は発見されました。

これは、A・ジェラールが船舶給水業を行うため建設したもので、この水は、明治時代に船乗りたちの間で「インド洋に行っても腐らない」と評判を呼んだものです。“ミナト・ヨコハマ”を世界的に有名にした「水」の貯水槽です。

所在地
中区元町1-77-4 元町公園内
建造年
不明
使用目的
湧水の沈澄および貯水
施主
A・ジェラール
設計者
不明
施工者
不明
構造形式
煉瓦造ヴォールト構造2連
構造形式
外寸 幅7.8m × 全長11.6m × 高さ3m
平面規模 2.8m × 約10.2m + 2.9m × 10.2m
高さ約2.5m 面積65㎡
使用材料
アーチ部は煉瓦積み(厚320mm) + コンクリート(100mm)
垂直壁体は煉瓦構造(720mm)
床版は煉瓦平敷き(厚 150mm)
配管は6箇所で土管、鉄管を使用

この上部貯水槽は、周囲の山からの湧水が毎分約50リットル流れ込み、その水位が1m程度になると下部貯水槽へ流れるような仕組みになっている。ここで集水し沈澄させる役割を果たす貯水槽と考えられる。そして、上部貯水槽から堀川までは地下に管を敷設し、川岸から小船に積み替えて横浜港内の船舶に給水していたようである。


資料提供:関東学院大学 工学部 土木工学科

ジェラールの瓦とレンガ

この地には明治時代の初期から末にかけて、フランス人ジェラールの経営する西洋瓦とレンガの製造工場がありました。
特徴ある模様や銘のある瓦は「ジェラール瓦」と呼ばれて市民に親しまれてきました。

初期

初期型I

初期型II

1873年の銘のあるものが最古と考えられている。

初期型III

初期型IIIには、YOKOHAMAの字間隔が異なる変型がある。

初期型IV

中期

中期型

1876、1877、1878、1886、1887、1889などの銘と、18□7、1□78、18□5などの銘がある。

後期

後期型

1887、1889などの銘と、××-1887×-の銘がある。
明治末期まで製造されていたと推測される。

隅切型

煉瓦

無孔煉瓦

有孔煉瓦

ジェラール瓦(西洋瓦)について

横浜開港後、来日した西洋人は、はじめ和(日本)瓦で葺かれた日本風の建物に住んでいましたが、しだいに自国流の建物を建て始めます。しかし、建築資材である西洋瓦やレンガ等を舶来品に頼っていたため、品不足に悩まされることもしばしばでした。

このことに目を付けたフランス人実業家A.ジェラールは、明治初期に、日本最初の本格的な西洋瓦とレンガの製造工場(A.GÈRARD’S STEAM TILE AND BRICK WORKS)を始めました。

西洋瓦にはスパニッシュ瓦(スペイン)やフランス瓦(フランス)などの種類があり、ジェラール瓦はフランス瓦に分類されます。ストレート型(長方形型)で、上下左右につめ状の凹凸をつけ、相互を噛み合わせながら瓦桟に引っ掛けて葺き上げていく技法に特徴があります。

この元町公園プール管理棟の屋根の一部分は、そのジェラール瓦(黒色系統の中期型に分類される1878.1885.1887年銘入り)で葺かれています。

資料提供:横浜開港資料館・山手資料館

凄い詳しく書かれていて、展示されているジェラール瓦以外にも、いろいろな形があったんだと知ることが出来ました。
すぐ近くに第10代横浜市長 有吉忠一の書かれたであろう石碑があります。
頑張って解読したんですが、異体字が多く読めないところが多かったです。赤い所はギブアップ箇所。

此の地夙に水屋敷の稱あり清泉滾湧盡きさるを以て飲料竝に舩舶給水用たりしこと久し曩年永代借地と[○て佛人]の手に歸したり[○]を震災復興促進の為横浜市は之を市有となしその利用を計畫中なりしか偶々横濱市青年聯合團か御大典記念亊業として水泳場背設立の議を樹つるに㑹せりこゝに於て市は[そ]の希望を容せ醵出金をも併せ用ひて之を建設し以て臨港都市青年の體育に資し且更に附近一帯に公園施設をなし之[が]美化に力[○][○]今功成るを告げ幽邃景勝の境満々たる水を[湛]へ永く市民の[○][○]情操の[○]養に供せらるゝを歡ひ茲に由来を刻して之を後䈎に傳ふ

昭和五年九月 横濱市長 有吉忠一誌

展示されているジェラール瓦

元町公園を上っていき、山手80番館遺跡近くの壁にジェラール瓦が展示されています。

山手80番館遺跡はなんか幻想的な場所

ジェラール瓦

元町公園は、わが国西洋煉瓦発祥の地であり、この斜面下の平地では明治の初年からフランス人のアルフレッド・ジェラールが「ふらんす瓦」を製造していました。

確認されている最も古いジェラール瓦は、明治6年(瓦に刻まれた1873の数字は西暦、また二五三三の数字は紀元のの年号を表示しています。)製で、関東大震災により倒壊焼失したこの山手80番館にも「ALFRED・GERARD」銘のあるジェラール瓦が葺かれていました。今日なお、山手では「ふらんす瓦」の異人館を多くみることができます。

アルフレッド・ジェラールは、山手の湧水を利用して船舶給水業を営む傍ら、「ふらんす瓦」はもとより赤煉瓦・有孔煉瓦・陶管・タイルの製造を手がけ、その工場は、「煉瓦屋敷」もしくは「水屋敷」として永く親しまれていました。

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