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山のてっぺんにある高島山公園
望欣台の碑
弁玉歌碑
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望欣台の碑と弁玉の歌碑
この丘は、高島山と呼ばれている。高島嘉右衛門が別邸を営んだためにこう呼ばれるようになった。
鉄道用地埋立などの事業の後、嘉右衛門がこの丘に閑室を設け港内の繁栄と事業の功績を望み、欣然として心を慰したことから望欣台と名付けられた。
高島山公園には、明治10年に立てられた嘉右衛門を顕影する「望欣台の碑」が今も残っている。
また、「弁玉の歌碑」もある。三宝寺の住職であった大熊弁玉は長歌をよくし、横浜の幕末から明治初期の文明開化を歌に残している。
神奈川宿歴史の道その6
高島山公園には案内板が複数あったので、別記事もご参照ください。