弁玉歌碑

望欣台の碑と弁玉の歌碑案内板【神奈川宿歴史の道その6】

神奈川宿歴史の道一覧はこちらです。

高島山公園

山のてっぺんにある高島山公園

望欣台の碑

望欣台の碑

弁玉歌碑

弁玉歌碑

AD

望欣台の碑と弁玉の歌碑

弁玉歌碑案内板

この丘は、高島山と呼ばれている。高島嘉右衛門が別邸を営んだためにこう呼ばれるようになった。

鉄道用地埋立などの事業の後、嘉右衛門がこの丘に閑室を設け港内の繁栄と事業の功績を望み、欣然として心を慰したことから望欣台と名付けられた。

高島山公園には、明治10年に立てられた嘉右衛門を顕影する「望欣台の碑」が今も残っている。

また、「弁玉の歌碑」もある。三宝寺の住職であった大熊弁玉は長歌をよくし、横浜の幕末から明治初期の文明開化を歌に残している。

神奈川宿歴史の道その6

高島山公園には案内板が複数あったので、別記事もご参照ください。

地図を見る

AD
弁玉歌碑
Twitterだけの情報も発信中。フォローしよう☆