日本国新聞発祥之地碑

中華街で日本初の新聞、日本国新聞発祥を巡る

日本国新聞発祥之地碑

横浜中華街に自転車で行ったの初めてだな〜

関帝廟通りにある横浜中華保育園の前に設置されている碑です。

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日本国新聞発祥之地

日本における新聞誕生の地

日本における新聞誕生の地

ここ、横浜の元居留地一四一番は、一八六四(元治元)年六月二十八日、ジョセフ彦が、「海外新聞」を発行した居館の跡である。

彦は、リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。

リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ大なるを体得し、開国したばかりの祖国のため、日本最初の新聞を創刊し、「童子にも読める」新聞精神を提唱した。

読みやすく、判りやすい新聞を、創世記の日本の新聞界に植えつけた新聞の父・彦の功は大きい。

さらに木戸孝允、伊藤博文、坂本竜馬など多くの人々に民主政治を伝えた彦は、民主主義の先駆者として、およそ新聞を読むほどの人々の心の奥に残る文化の恩人であった。

一九九四(平成六)年六月二十八日
「海外新聞」発刊一三〇年記念日に
ジョセフ彦記念会

ジョセフ彦

ジョセフ彦

海外新聞

海外新聞

ジョセフ彦居館跡

ジョセフ彦居館跡

ジョセフ彦の墓

ジョセフ彦は東京の青山霊園内の外人墓地に眠っています。

ジョセフ彦の名

ジョセフ彦はもともと浜田彦蔵でしたが、カトリックの洗礼を受けジョセフ彦となりました。
リンカーン大統領と握手した唯一の日本人というだけでなく、日本人で初めてアメリカ合衆国の市民権を得た人でもあります。

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日本国新聞発祥之地碑
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