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横浜案内板集め

  • 2020年9月14日

山下公園の沈床花壇

沈床花壇 sunken garden この花壇がある場所は、山下公園が開園する以前は、フランス波止場あるいは東波止場と呼ばれる船着き場があったところです。幕末の横浜港には、このフランス(東)波止場と、現在の大さん橋ふ頭のあたりにイギリス(西 […]

  • 2020年9月13日
  • 2020年9月14日

山下公園のなりたちと山下埠頭臨港鉄道線の建設撤去

現在の山下公園通り(当時は海岸通りと呼ばれていました)は海に面していて、散歩道としても多くの人に親しまれていました。当時も多くの船が航行していた様子がうかがえます。1923年(大正12年)の関東大震災のため、海岸通り前の海は瓦礫の山となりました。そして、震災復興事業の一つとして、ここに公園をつくることになり、昭和5年日本初の臨海公園、山下公園が誕生しました。

  • 2020年8月4日
  • 2020年9月14日

8代目の横浜新市庁舎の周りには横浜の歴史たっぷり

関内駅前から移転した横浜市役所の新市庁舎は現在で8代目です。 ラウンジや商業施設も組み込まれ、さくらみらい橋を設置しアクセスも抜群。 ちなみにさくらみらい橋の名前は大岡川名物の桜から取ったそうです。桜の見られる場所まで結構歩きますけどね…… […]

  • 2020年8月3日
  • 2020年9月14日

かもめの水兵さんは横浜港発祥

やっぱりですが、かもめの水兵さんは横浜で生まれた歌のようです。かもめの水兵さんは1937年に発表された日本の動揺で、戦前および戦中の童謡のレコードとしては大ヒットしました。作詞者 武内俊子さんは昭和八年の秋ある日、このメリケン波止場から船で布教のためハワイへ旅立たれる叔父さんを見送りにこられました。それはよく晴れた日の午後のことで、桟橋一帯に白いかもめがたくさん飛びまわり、それが折からの夕日に映えて、とても美しく印象的でした。

  • 2020年7月28日
  • 2020年9月14日

山下公園にあるミッションベル 横浜はサンディエゴと姉妹都市

山下公園のちょうど真ん中あたりにあるミッションベルは、サンディエゴとの姉妹都市提携の25周年記念で寄贈されたものでした。 横浜とサンディエゴってつながっていたんですね! エル カミーノ レアールのミッションベル 1769年から1832年にか […]

  • 2020年7月27日
  • 2020年9月14日

くらしの温故知新の道 日ノ出町にポツンとありました

安政6(1859)年の開港以来、横浜の成長と共に大きく変貌してきた西区のまち。立ち止まってよく見てみると、積み重ねられてきた様々な西区の魅力が見えてきます。「温故知新のみち」はそんな西区の歴史資源を楽しむことができる散策ルートです。

  • 2020年7月26日
  • 2020年9月14日

平和記念碑 横浜大通公園から平和を祈る

1941年12月8日、日本軍の米国真珠湾軍港に対する奇襲攻撃により、大日本帝国は、連合国軍との間に戦端を開くに至った。その後1945年8月15日に至り、わが民族の滅亡を憂うご聖断により漸く敗戦の日を迎えた。その間、三年九ヶ月余。政・軍・官の情報統制の下、一般庶民は戦争の実相を知らされること無く、ひたすら盲従を強いられた日々であった。

  • 2020年7月14日
  • 2020年9月14日

西洋理髪発祥の地かなり不思議な山下公園のZANGIRI頭像

この日は工事中でザンギリ像にもイエローテープが……。 ちなみに以前撮影へ訪れた時は老夫婦が像の前で休んでいたので、大人しく退散してきました。(2度目でもツイてなかったか) 山下公園にあるザンギリ像はとても大きいですが、磯子区の神奈川県利用会 […]

  • 2020年7月13日
  • 2020年9月14日

旧横浜居留地48番館に残る関東大震災の傷跡

横浜最古の洋風建築物。創建から大正15年までモリソン商会の建物として用いられていた。関東大震災で、当初の2階建てが平屋となり、平面規模も6割に縮小されている。石灰製の目地を持つフランス積で、設計尺度はメートル法が用いられている。北側主入口のアーチ上部に創建時と見なされるキーストーンが置かれている。

  • 2020年7月10日
  • 2020年9月14日

横浜のなりたちと歴史をわかりやすく紹介

横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中) 横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。 どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発 […]