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横浜案内板集め

  • 2020年8月3日
  • 2020年10月31日

かもめの水兵さんは横浜港発祥

やっぱりですが、かもめの水兵さんは横浜で生まれた歌のようです。かもめの水兵さんは1937年に発表された日本の動揺で、戦前および戦中の童謡のレコードとしては大ヒットしました。作詞者 武内俊子さんは昭和八年の秋ある日、このメリケン波止場から船で布教のためハワイへ旅立たれる叔父さんを見送りにこられました。それはよく晴れた日の午後のことで、桟橋一帯に白いかもめがたくさん飛びまわり、それが折からの夕日に映えて、とても美しく印象的でした。

  • 2020年7月28日
  • 2020年9月14日

山下公園にあるミッションベル 横浜はサンディエゴと姉妹都市

山下公園のちょうど真ん中あたりにあるミッションベルは、サンディエゴとの姉妹都市提携の25周年記念で寄贈されたものでした。 横浜とサンディエゴってつながっていたんですね! エル カミーノ レアールのミッションベル 1769年から1832年にか […]

  • 2020年7月27日
  • 2020年9月14日

くらしの温故知新の道 日ノ出町にポツンとありました

安政6(1859)年の開港以来、横浜の成長と共に大きく変貌してきた西区のまち。立ち止まってよく見てみると、積み重ねられてきた様々な西区の魅力が見えてきます。「温故知新のみち」はそんな西区の歴史資源を楽しむことができる散策ルートです。

  • 2020年7月26日
  • 2020年9月14日

平和記念碑 横浜大通公園から平和を祈る

1941年12月8日、日本軍の米国真珠湾軍港に対する奇襲攻撃により、大日本帝国は、連合国軍との間に戦端を開くに至った。その後1945年8月15日に至り、わが民族の滅亡を憂うご聖断により漸く敗戦の日を迎えた。その間、三年九ヶ月余。政・軍・官の情報統制の下、一般庶民は戦争の実相を知らされること無く、ひたすら盲従を強いられた日々であった。

  • 2020年7月14日
  • 2020年9月14日

西洋理髪発祥の地かなり不思議な山下公園のZANGIRI頭像

この日は工事中でザンギリ像にもイエローテープが……。 ちなみに以前撮影へ訪れた時は老夫婦が像の前で休んでいたので、大人しく退散してきました。(2度目でもツイてなかったか) 山下公園にあるザンギリ像はとても大きいですが、磯子区の神奈川県利用会 […]

  • 2020年7月13日
  • 2020年11月23日

旧横浜居留地48番館に残る関東大震災の傷跡

横浜最古の洋風建築物。創建から大正15年までモリソン商会の建物として用いられていた。関東大震災で、当初の2階建てが平屋となり、平面規模も6割に縮小されている。石灰製の目地を持つフランス積で、設計尺度はメートル法が用いられている。北側主入口のアーチ上部に創建時と見なされるキーストーンが置かれている。

  • 2020年7月10日
  • 2021年10月3日

横浜の歴史となりたちをわかりやすく紹介、なぜ横浜は発展したのか?

横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中) 横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。 どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発 […]

  • 2020年6月28日
  • 2020年9月14日

浦島太郎伝説で有名な慶運寺の案内板【神奈川宿歴史の道その19】

慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。開港当初はフランス領事館に使われた。

  • 2020年6月15日
  • 2020年9月14日

象の鼻パークに行けば横浜の歴史まるわかり

象の鼻パークをウロウロしていると、かなりの数の案内板を発見できました。このエリアだけでかなり横浜通になれるんではないでしょうか。象の鼻防波堤 安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置しました。この波止場は、2本の突堤が岸からまっすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積卸しに使用されました。