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神奈川の浦島太郎説で有名なお寺です。
再度訪れ、浦島太郎資料の案内板を発見しました。
日本で浦島太郎伝説がある場所はいくつもあるのですが、神奈川だと面白いのになと思います。
慶運寺
慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。
開港当初はフランス領事館に使われた。
また、浦島寺とも呼ばれている。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっている。
横浜市地域有形民俗文化財
浦島太郎伝説開係資料
平成七年十一月一日登録
- 所有者
- 宗教法人慶運寺
- 所在地
- 神奈川区神奈川本町一八番地二
- 登録資料
- 本尊浦島観世音(旧観福寿寺蔵) 一軀
- 浦島父子搭(旧観福寿寺旧在) 一基
- 浦島寺碑(旧観福寿寺旧在) 一基
- 所有者
- 宗教法人蓮法寺
- 所在地
- 神奈川区七島町二一番地
- 登録資料
- 伝供養塔 三基
- 顕彰歌碑 太田唯助作 一基
横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝られていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。
しかし、『江戸名所図会』『金子砂子』などの文献には縁起に関する記述がみられます。
それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。
太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。
三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り父母を訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。
これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。
そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。
この浦島伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(本寺)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(神奈川区七島町二一番地)に残されています。
慶運寺に移された浦島観世音は、浦島太郎が龍宮から玉手箱とともに持ち帰ったとされるもので、亀の形をした台座の上に「浦島寺」と刻まれた浦島寺碑や浦島父子搭とともに、浦島伝説を今日に伝えるものです。
江戸名所図会
本尊 浦島観世音
浦島父子塔
浦島寺碑
横浜市教育委員会