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宗興寺とヘボン博士
曹洞宗宗興寺は、上の「神奈川駅中図会」では権現山の麓に描かれている。
開港当時、アメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士がここに施療所を開いた。
これを記念する石碑が境内にたてられている。
このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、目本最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。
後に、明治学院を創設するなど、我国の教育にも尽力した人である。
宗興寺内にある石碑
ヘボン博士施療所
横浜市長 飛島田一雄
宗興寺
一八五九(安政六)年ヘボンの来日後、まもなく米宣教医とした、シモンズはその後、明治初年になって横浜市立大学医学部の前身、十全医院で多数の外科手術を行い、子弟を教育した。
また虫下しセメン円でも有名である。
米宣教師ネビウスも一時宗興寺を宿舎とした。
シモンズ、ネビウスが当寺を去ったあと一八六一(文久元)年四月から九月まで宗興寺はヘボンの施療所となった。
ヘボンは成仏寺からここへ通い、多数の患者を無料で診察し、入院患者もあった。
ヘボンのレリーフは幸ヶ谷在住の斎藤由蔵氏の善意で作られたものである。
昭和五十一年十二月
ヘボン博士顕彰会