「開国当時の元浜町」
安政6年(1859年)6月横浜開港以降、「関内」地区は神奈川運上所(現神奈川県本庁舎の位置)の東側を外国人居留地、西側を日本人居住地としていた。
この地は古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859年)の横浜開港に際して新設され「海辺通」と町名を付けられた。
その後、明治4年(1871年)4月にこの地先の海岸を埋め立て、その地を「海岸通」とされたため、元の「海辺通」は「元浜町」と改称された。そして、明治22年(1889年)4月の市町村制施行の際に横浜市に編入され、現在の横浜市元浜町となった。
このあたりから山下町の町界線上の地域にかけては昔その名のとおり「浜」のあったところで、「元浜」とは「元」浜であっただけでなく、横浜という地名の発祥地であると考えられるところから「元」の横浜と考えてもよいと思われる。
大正11年(1922年)、この地には、酒類・食料品問屋である鈴木洋酒店(現伊藤忠食品)の支店があり、主に港に停泊する船舶との取引を行っていた。
安政6年(1859年)横浜開港当時には、亀屋和助というお方の家屋が建っていた記録も残されている。
また、文久元年(1861年)9月この地の関内大通りの西側には、俗称芝居新道に下田屋文吉が関内唯一の芝居小屋「下田座」を開業、明治3年(1870年)8月には佐野松と合併し、関外の羽衣町に移転した。
平成27年9月プロスタイル横浜馬車道管理組合
元浜町の歴史
久良岐郡横浜村の一部で、1859年の横浜港開港に際し「海辺通」の町名が付けられました。
1871年に埋立地に海岸通が新設され、町名が元浜町になりました。1889年4月1日市制施行に伴い横浜市の一部となります。
1923年9月の関東大震災では町内のほとんどが全焼し、1945年5月の横浜大空襲でも全壊に近い被害を受けました。
第二次世界大戦後は占領軍に接収されましたが、接収が解除されたのちは港湾関連の企業が進出しました。
意外な場所に設置されています
会社の健康診断帰りにふらっとコンビニに立ち寄った時に偶然発見しました。
元浜町通りに面しているセブンイレブン横浜元浜町3丁目店の入り口に設置されています。
いや……もうちょっと設置する場所あるんじゃないの?とは思ったのですが、後からセブンイレブンが出来たのでしょうか?