関内駅前から移転した横浜市役所の新市庁舎は現在で8代目です。
ラウンジや商業施設も組み込まれ、さくらみらい橋を設置しアクセスも抜群。
ちなみにさくらみらい橋の名前は大岡川名物の桜から取ったそうです。桜の見られる場所まで結構歩きますけどね……。
そんな新市庁舎の足元には横浜の歴史を感じるものが出土され、ちゃんとそれを公開しています。
Twitterとかを見ていると「横浜は歴史的なものを壊すな〜」とかツイートされていたりしますが、横浜はそうとう頑張っている方だと思うよ。
新しいものと古いものが綺麗に融合して、相乗効果が生まれている。
もっと街を歩いてみなさいよ……っと、軽く毒を吐いたところで、案内板が結構あったのでご紹介します。
横浜市役所に見る“都市の記憶”
―開港、震災復興、そして現在―
市役所建設にともなう埋蔵文化財(洲干島遺跡)の発掘調査では、開港から関東大震災までの時期の建物基礎や下水管などのインフラが確認されました。
これらの遺構は、開港以降この場所で積み重ねられた歴史の上に現在の市役所があることを教えてくれます。
- 旧横浜船渠株式会社第一号船渠(ドック) 明治31(1898)年
- 横浜指路教会 大正15(1926)年
- 横浜市開港記念会館 大正6(1917)年
- 綜通横浜ビル(旧本町旭ビル) 昭和5(1930)年
- 神奈川県庁本庁舎 昭和3(1928)年
- 横浜開港資料館旧館(旧横浜英国総領事館)及び門番所 昭和6(1931)年
- 横浜税関遺構鉄軌道及車台 明治28(1895)年〜明治29(1896)年
- 新港橋梁 大正元(1912)年
- 旧横浜港駅プラットホーム 昭和3(1928)年
- ハンマーヘッドクレーン 大正3(1914)
- 北仲通大岡川下水口明治10年代(推定)
- 大岡川河口護岸・荷揚場 明治初期(推定)
- 旧横浜正金銀行本店本館 明治37(1904)年
- 馬車道大津ビル(旧東京海上火災保険ビル) 昭和11(1936)年
- 旧富士銀行横浜支店(元安田銀行横浜支店) 昭和4(1929)年
- 旧東京三菱銀行横浜中央支店 昭和9(1934)年
- 万国橋 昭和15(1940)年
- 旧横浜生糸検査所附属倉庫事務所 大正15(1926)年
- 旧横浜生糸検査所附属生糸絹物專用B号倉庫及びC号倉庫 大正15(1926)年[旧建物]、 令和元(2019)年復元
- 旧灯台寮護岸 明治6(1873)年(推定)[布積護岸] 明治30(1897)年[谷積傾斜護岸]
- 港一号橋梁 明治42(1909)年
- 港二号橋梁 明治42(1909)年
- 港三号橋梁(旧大岡川橋梁) 明治39(1906)年、 昭和3(1928)年移設、平成9(1997)年改修
- 旧臨港線護岸 明治43(1910)年
市役所周辺に残る歴史的建造物
A 旧横浜船梁株式会社第二号船梁(ドック)
明治29(1896)年建造 国指定重要文化財
写真は明治36(1903)年当時
恩地薫氏(横浜開港資料会館保管)
B 赤レンガ倉庫
1号倉庫:大正2(1913)年建築、2号倉庫:明治44(1911)年建築
横浜市認定歴史的建造物
写真は『横濱税関新設備写真帖』(大正6年)掲載の2号倉庫
横浜市発展記念館
C 旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店)
昭和4(1929)年建築
横浜市認定歴史的建造物
写真は『銀行建築』(昭和8年)掲載
横浜市発展記念館
D 横浜第2合同庁舎(旧横浜生糸検査所)
大正15(1926)年建築[旧建物]、平成5(1993)年復元
横浜市認定歴史的建造物
写真は大正15(1926)年当時
横浜市発展記念館
地図に見る北仲通地区の変遷
江戸時代には州干弁天社の社地であった本地区は、安政6(1859)年の開港とともに市街地化が進みます。
北仲通には灯明台役所(のち灯台寮、航路標識管理所と改称)が設置され、国内の灯台事業の拠点となります。
また明治5(1872)年に鉄道が開通すると、関内地区のメインストリートである本町通りが横浜駅(現・桜木町駅)まで伸びて、駅と港が道路で結ばれました。
本町通り弁天橋付近
横浜開港資料会館所蔵
開港以来の街並みは、大正12(1923)年に発生した関東大震災で灰燼に帰しました。
震災復興事業を経て、北仲通には横浜生糸検査所をはじめ生糸貿易を支える諸施設が集中して建てられ、本町通りには古典主義様式の銀行建築が建ち並びました。
本町通りの被災状況
大正12(1923)年 横浜開港資料会館所蔵
I 開港直後
安政6年頃 1859
「御持場海岸分見画図」(部分)
松平文庫(福井県文書館保管)
II 進む市街地化
慶応元年 1865
「横浜絵図面」(部分)
横浜開港資料会館
III 灯台事業の拠点へ
明治14年 1881
「横浜実測図」(部分)
横浜開港資料会館
IV 関東大震災前夜
大正11年 1922
1万分の1地形図「横浜」(部分)
横浜開港資料会館
V 震災復興
昭和7年1932
3千分の1地形図「横浜」(部分)
横浜開港資料会館
[監修]公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団
発掘された煉瓦造導水管
航路標識管理所 煉瓦造導水管
航路標識管理所(旧灯台寮)の構内に埋設されていた煉瓦造の導水管で、管の上部がアーチ形をしています。
関内地区では外国人居留地(日本大通りから東側一帯)に整備された卵形の煉瓦造下水管や、日本人市街(日本大通りから西側一帯)に整備されたアーチ形の石造下水管が発見されていますが、煉瓦造でアーチ形のものは初めての発見です。
発掘調査で確認された煉瓦造導水管※1
※1 写真提供
公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター
馬車道で出土した石造下水管
[監修]公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団
発掘された煉瓦造倉庫の基礎
航路標識管理所 倉庫基礎
大岡川沿いの北仲通6丁目には、明治2(1869)年に国内の灯台事業を取り扱う灯明台役所(のち灯台寮、灯台局、航路標識管理所と名称を変更)が設置され、構内には試験灯台や各種工場が建てられました。
展示しているのは、明治時代中頃とみられる3階建て煉瓦造倉庫の基礎部分です。コンクリート基礎の上に煉瓦を3枚分の幅で積んだ構造になっています。
発掘調査で確認された煉瓦造倉庫の基礎※1
※1 写真提供
公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター
航路標識管理所の構内※2
※2 明治後期 横浜開港資料会館所蔵
右端の建物が発掘調査で発見された煉瓦造倉庫
[監修]公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団
大岡川の石積み
大岡川石積み護岸
開港から間もない文久2(1862)年頃に整備された大岡川の石積み護岸です。
当初の護岸は現在よりも内側に位置していましたが、明治2(1869)年に灯明台役所が設置されると、敷地の拡張にともない埋め立てられました。
護岸は四角すい状の間知石を布積みにしたもので、現存が確認された石積み護岸では最古級のものです。
*この護岸は発掘調査で確認された護岸の延長線上にあらたに積み直したものです。
発掘調査で確認された石積み護岸※1
※1 写真提供
公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター
「横浜異人屋敷阿蘭陀コンシーユル住所」※2
※2 五雲亭貞秀『横浜開港見聞誌』初編(文久2年)より
横浜開港資料館所蔵
[監修]公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団
編集後記
今回紹介した案内板のデザインが実は気になっています。
読点のはみ出し方など、ベテランのデザイナーさんが手掛けたような印象です。
タイポグラフィの基礎が出来すぎているので、印刷周りに精通した方が作ったのかな?素晴らしい出来だと思います。
石積みは積み直していますが、こういうのをちゃんと残す横浜は頑張っていますよ。
他の場所だと無くしちゃうんじゃない?