沈床花壇

山下公園の沈床花壇

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沈床花壇 sunken garden

この花壇がある場所は、山下公園が開園する以前は、フランス波止場あるいは東波止場と呼ばれる船着き場があったところです。幕末の横浜港には、このフランス(東)波止場と、現在の大さん橋ふ頭のあたりにイギリス(西)波止場があり、多くの船が行き交っていました。

また、明治期には、日本最初のボートハウスがこの付近に開設され、外国人がボートレースや水泳大会を盛んに行い、海洋スポーツの拠点にもなっていました。

1930年(昭和5年)の山下公園開園当初は、臨海公園を特徴づける施設として、ボートベイシン(船溜まり)が建設されていました。その後の1955年(昭和30年)ごろ、ボートベイシンは埋め立てられ、現在のような花壇になりましたが、海水取り入れ口は今も残り、開園当初の面影を見ることができます。

横浜絵図面

1865年(慶応元年)フランス人技師クリペが公使の依頼によって作成した横浜最初の本格的な実測図。中央の二つの突堤がイギリス(西)波止場、左手の小さい二つの突堤がフランス(東)波止場。赤い部分は日本人街、黄色が外国人居留地、青色の地所はフランスへの貸与地を示します。

横浜開港資料館所蔵

1881年(明治14年) ボートハウスの開所式の様子

上図の

海水取り入れ口

形部分がフランス(東)波止場の位置です。

ボートベイシンの遺構 海水取り入れ口

2002年(平成14年)撮影

2000年(平成12年)の改修工事で姿を現したフランス波止場

ボートベイシンの石積もこのとき花壇内で発見されました。
フランス波止場、ボートベイシンの石積とも、そのままの位置で埋設保護されています。

1930年(昭和5年)開園当時のボートベイシン

港内のボートは直接このボートベイシンに入り園内に上陸できるようになっていました。

平成14年3月横浜市緑政局製作

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沈床花壇
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