神奈川宿歴史の道一覧はこちらです。
神奈川の台と茶屋
ここ台町あたりは、かつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊を見おろす景勝の地であった。
弥次さん、喜多さんが活躍する『東海道中膝栗毛』にも、「爰は片側に茶屋軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とある。
「おやすみなさいやァせ」茶屋女の声に引かれ、二人はぶらりと立ち寄り、鰺をさかなに一杯ひっかけている。
上図の「櫻家」が現在の料亭田中家のあたりだといわれている。
田中家さんの入口近くにも説明板が立っていました。主に田中家さんの説明が記載されていました。酒屋さんが来ると見られなくなるので注意。
田中家横の階段を下ったここら辺は海だったんですね。
歴史の街「神奈川宿」
神奈川宿
神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町です。現在の台町あたりは、かつて神奈川湊を見おろす景勝の地でした。この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854年)の神奈川条約締め結の舞台となってからです。その四年後に結ばれた日米通商条約では神奈川が開港場と決められていましたが、後に横浜に変更されました。
田中家
神奈川宿が賑わった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1863年)創業の田中家です。
田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。
坂本龍馬の妻「おりょう」
「おりょう」が田中家で働き始めたのは明治7年。勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています。英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は、外国人の接待に重宝されていました。
明治大正時代の田中家
滝川の案内板
田中家さんから少し坂を下ったところに滝川さんという料亭があります。昭和22年からやっているそうですが、平成元年にビルに建て替えてスタイリッシュな入口になっています。
こちらにも東海道中膝栗毛 袖ヶ浦が書かれていましたが、田中家で説明したのではしょります。
神奈川宿歴史の道その3
歴史に疎い管理人でもおりょうは知っているのですが、こんな近くに縁の地があったとは驚きました。坂本龍馬は遠いレジェントのような印象だったので、変な親近感が湧いてしまいます。