本当に廻り道だった。本当に、本当に、なんて遠い廻り道………。というわけで、ダイエットがてら山を登り西谷浄水場にウォーキングへ行ってきました。
とにかくキツかったです。寄り道などもしながら行ったら1日で2万歩になりました。
前回の記事で書きましたが、iPhone 12 Pro MAXでどのくらい綺麗に撮影できるかの実験でもあります。
結果的に十分な画質かな。
山登り
第一弾の山。星川の水道みちをず〜っと進んでいくと辿り着きました。この時点でわりと眺めが良いですね。
この階段を登りきると浄水場の入り口となるメモリアルポケットパーク西谷浄水場旧計量器室跡が三角州にあります。
メモリアルポケットパーク西谷浄水場旧計量器室跡
ベンチがあったので、10分ほどこちらで休憩させてもらいました。
メモリアルポケットパーク(西谷浄水場旧計量器室跡)
このレンガ造りの建物は、西谷浄水場から横浜駅周辺・桜木町・元町・山手・本牧方面に給水する内径610mm・910mm・395mm3条の配水管の量をはかる量水装置(水銀式ベンチュリーメーター)を設置するために大正3年3月に建設されたものです。
日本で初めての近代水道として明治20年に創設(現在の野毛山公園に浄水場を建設、明治20年10月17日に通水)された横浜水道が昭和62年に100周年を迎えるにあたり、横浜水道記念館への玄関口として保存し公開するものです。
西谷浄水場計量器室と運搬索道
上の台地が浄水場(建設当時の風景)
昭和62年3月横浜市水道局
まだまだ第二の坂が待ち受けています。結構長い!
この山を登って頂上に着くと
辿り着きました!横浜水道記念館!
横浜水道記念館
横浜の水道は、日本で最初の近代水道として明治20年(1887年)に誕生し、昭和62(1987年)10月に100周年を迎えることになりました。
これを記念して、横浜水道の拠点として活躍してきた西谷浄水場に横浜水道記念館を設け、先人の功績をたたえ市民の皆さんとともに明日への発展を願うものです。
昭和62年6月
横浜水道局長 神林智博
この噴水マークは、創設100周年を記念して制定されたものです。
そういえば横浜市営地下鉄のマークって、噴水マークに似ていますね。
まず目に飛び込んでくるのは、噴水!なんかバッキンガム宮殿とかそういった感じ。
そして右側にはUFOのような謎の建造物。
洗浄水槽(せんじょうすいそう)
- 構造
- 鋼構造(総水量1,352m)
- 有効貯水量
- 1,000㎥
- 完成
- 昭和48年9月
この洗浄水槽は、ろ過池を洗浄するための水をためている水槽です。
ろ過池は、砂やじゃりを使い、水の汚れを取りのぞく施設です。
2〜3日に1回をめやすに、この水槽の水を使って洗浄しています。
ろ過の水の流れとは逆の方向から水を送り洗浄するため、逆流洗浄と呼ばれています。
横浜水道創設記念噴水塔
(英国・アンドルーハンヂサイド社納)
明治20年(1887年)横浜の近代水道創設を記念して
当時の横浜停車場(現桜木町駅)の広場に設置されたものである。
昭和60年5月水道百選に指定
昭和62年6月修復設置調査・施行久保田鉄工(株)
過去に使用されていたパイプや装置
敷地の道には展示物として、年季の入ったパイプや装置が飾られています。完全にそっち系のマニア用ですがご紹介。
42インチ仕切弁
この仕切弁は第3回拡張工事第2期(昭和14年)に増設された青山第5号沈澱池内に設置されたものです。
両口浮動管で上澄水を取水して構内接合井に送水する管の流出弁として使われていました。
青山沈でん場第5号沈でん池構造図
φ1500ミリ逆止弁
臨時導水増強工事(昭和36〜37年)で相模湖系φ1500ミリP・S管に南村導水加圧ポンプ出口の逆流防止用として設置されたものです。
シンプレックス型沪過流量調節器
これは昭和初期に作られたもので、西谷浄水場旧第1急速沪過池に使用していたものです。
沪過池で沪過する水の量は、最初は多く、しだいに砂層が目詰まりして少なくなるので、この流量調節器で一定になるようにしていました。
ベンチュリー部により、流量をはかりここに発生する圧力差をダイヤフラムに導き、上部のおもりと釣合いをとり、おもりの移動で水量を調節するものです。
逆流洗浄流量調節器
西谷浄水場旧第1急速沪過池の逆洗本管(逆洗水槽の出口)に設置されていたものです。
ベンチュリー部流量を測定し内部の弁扉により洗浄流量が一定になるように調整して沪過池洗浄を行っていました。
ルーツ型75馬力送風機
ジュエル式沪過において水による逆流洗浄に先立って、砂層をゆるめてかくはんするための空気源として西谷浄水場旧第1急速沪過池に設置されていたものです。
転鐶彎管
第2回拡張工事(大正4年)において、青山沈澱池に設置された両口浮動管の一部で、転鐶彎管、亜鉛メッキ鉄製浮子、ならびに浮腕により構成されたものです。
浮子と浮腕は沈澱池水面の高低に応じ共に上下しながら、常に水面近くの清澄な水を沈澱池から取入れ、内径42インチ(1050mm)管から構内接合井を経て送水していました。
両口浮動管図
36インチ鋳鉄管
第2回拡張工事(大正4年)において、大島接合井から川井浄水場までの間(18.981m)の道志川系導水管として布設されたものです。
接合部は鉛接合で一部漏水防止金具により補強されています。
1,100kw導水加圧ポンプ
臨時導水増強工事(昭和36〜37年)で、当時の急激な水需要の増加に対応するため、南村ポンプ場のφ1,500ミリ導水管に設置されたものです。
その他展示物
宮ヶ瀬の石
ここに置かれている石は、神奈川県の将来水源として宮ケ瀬ダムが建設される中津川から、横浜水道創設百周年を記念して、此の地に移されたものです。
1987年(昭和62年)1月
横浜水道創設100周年記念碑
100年後の市民のみなさんへ
タイムカプセル
開封 2087年10月
埋設 1987年10月
管理人100歳の時に開封されるようです。たぶん私はこの世にいなさそう……。
日本最古の配水管ベンチ
このベンチは、1887年から2003年までの116年間使われた、日本最古の水道管を再利用したものです。
- 口径
- 15.5インチ(395mm)
- 製造年度
- 明治18年(1885年)
- 製造会社
- アール・レイドロー社(イギリス・グラスゴー市)
- 布設年度・場所
- 当初 明治18年 創設工事:川井接合井〜野毛山貯水場
転用 明治43年 第2回拡張工事:南区浦舟町 - 撤去年度
- 平成15年9月(中部配水管理所)
紀功碑
孟母三遷の像
孟子の母は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、孟子が葬式のまねばかりしているので、市場近くに転居した。ところが今度は商人の駆け引きをまねるので、学校のそばに転居した。すると礼儀作法をまねるようになったので、これこそ教育に最適な場所だとして定住したという故事。
教育には環境が大切であるという教え。
また、教育熱心な母親のたとえ。三遷の教え。
ん?あまり施設と関係がないような気もしますが……こんなのもありましたということで。
獅子頭の水飲み場
もしかして居るかな?と思ったら、やっぱり発見。ここでは水飲み場のマスコット的な感じになっていました。
今のところ、元浜町・南太田で見たのですが、どうやら勝烈庵にもいるらしい。
ビュースポット
施設内にビュースポットが設置されています。みなとみらい方面を一望できるので、山登りの後の息抜きになりますね。
ちなみに西谷浄水場には自転車とバイクの駐輪場があります。自転車は大変なので、バイクかバスで来るのがおすすめです。