麒麟麦酒開源記念碑

横浜生まれのキリンビール工場跡地をめぐる

みなさんビールは好きですか?管理人は6時間くらいずっとビールでも大丈夫なタイプです。(スーパードライ派ですがね)
前回、ビール坂の紹介をしましたが、何かとビールに縁がある横浜。キリンビールは横浜山手工場から始まりました。
夏の朝っぱらからTwitterでダラダラウォーキングをしながら撮影報告をしていたら、結構いいねが多かったので、今後も続けていこうかな。

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ビール井戸

横浜市立北方小学校

元町からだと山手の山を下ったところにある横浜市立北方小学校。この敷地内にビールを作る際に使っていた井戸があります。

ビール井戸

車がギリギリを通るので、撮影がちょっと大変。たまに学校の敷地内にあるものを撮影するのですが、盗撮と間違われそうで怖いですね。

ビール井戸案内板

この地に日本で最初のビール工場が建設されました。
いま校庭になっているところには清水のわき出る池があって、キリンビールは1888年からここでつくられていました。

そのころは横浜市の水道がまだここまで引かれていなかったので、井戸水を使ってビールがつくられました。
この井戸は1895年から1901年までビールづくりに使われていたものです。

1984年1月10日
寄贈 キリンビール株式会社

小学校にある案内板なので、平仮名多めの印象。
ここから10分ほど歩いたところにキリン園公園があります。

キリン園公園

公園ではおっちゃんが1人運動をしていました。
物凄く普通の公園ですが、とんでもない記念碑があります。

麒麟麦酒開源記念碑

とにかくデカイ!記念碑に書かれている事を文字起こししてみようと思っていたのですが、デカすぎて厳しかったです。上の方とか読めません。

麒麟麦酒開源記念碑

麒麟麦酒開源記念碑

1870(明治3)年、アメリカ人ウィリアム・コープランドは横浜・山手にビール醸造所スプリング・バレー・ブルワリーを設立し、日本で初めて産業として継続的にビールの醸造・販売を行いました。コープランドはその功績から、「日本のビール産業の祖」と呼ばれています。

1885(明治18)年、スプリング・バレー・ブルワリーの建物と土地は、日本在住の外国人経営の会社ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、1888(明治21)年に「キリンビール」が発売されました。

そして、1907(明治40)年、ジャパン・ブルワリーの事業を引き継ぎ麒麟麦酒株式会社が創立。1923(大正12)年の関東大震災まで、この地においてビールを醸造しました。

石碑はこの地がキリンビール発祥の地であることを記念して、1937(昭和12)年に建立されたものです。

※石碑建立当時は、スプリング・バレー・ブルワリーの設立は1872(明治5)年とされていましたがその後の調査で1870(明治3)年であることが判明しました。

麒麟麦酒開源記念碑

1885(明治18)年頃のジャパン・ブルワリー

麒麟麦酒開源記念碑

1907(明治40)年頃のキリンビール山手工場

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麒麟麦酒開源記念碑
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