みなとみらいは海だった。西区の埋立の歴史を知る

江戸時代、現在の桜木町やみなとみらい21地区、横浜駅周辺はすべて海でした。安政6(1859)年、東海道と開港場をつなぐ横浜道が野毛の山を切り開いて築かれ、戸部の高台には神奈川奉行所が設けられるなど戸部・野毛の丘は開港期の横浜の発展を担う日本人の拠点となりました。