- 2020年7月10日
- 2022年4月18日
横浜の歴史となりたちをわかりやすく紹介、なぜ横浜は発展したのか?
横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中) 横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。 どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発 […]
横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中) 横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。 どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発 […]
安政六年(一八五九年)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(一八六〇年)六月竣工した。
東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。