• 2020年5月17日
  • 2020年7月12日

神奈川の大井戸の案内板【神奈川宿歴史の道その18】

この井戸は、江戸時代には東海道中の名井戸に数えられ、当時は宗興寺を「大井戸寺」と呼ぶほどであったといわれている。「江戸初期には神奈川御殿に宿泊する徳川将軍のお茶の水に充てられたと伝えられ、また、開港後には宗興寺に滞在したアメリカ人宣教医シモンズやへボンもこの井戸水を使用している。

  • 2020年5月17日
  • 2020年7月12日

滝ノ橋と本陣跡の案内板【神奈川宿歴史の道その16】

上の図は「金川砂子」に描かれた、江戸後期の神奈川宿の風景である。現在と同じ場所にあった滝ノ橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていた。本陣とは、大名や公家などが宿泊したり、休息するための幕府公認の宿である。

  • 2020年5月17日
  • 2020年7月12日

普門寺の案内板【神奈川宿歴史の道その12】

普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことより起こった。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。

  • 2020年5月17日
  • 2020年7月12日

京急神奈川駅の案内板【神奈川宿歴史の道その10】

東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸幕府の道中奉行が作った『東海道延絵図』である。図の中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。折れ曲がったあたりが台町である。