- 2020年6月28日
- 2020年9月14日
浦島太郎伝説で有名な慶運寺の案内板【神奈川宿歴史の道その19】
慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。開港当初はフランス領事館に使われた。
慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。開港当初はフランス領事館に使われた。
かれこれ念願だった横浜崎陽軒本店に入っている高級中華の嘉宮へ行ってきました!今回はフカヒレのコース料理をいただきます……がっ!本命は温かい特製シウマイを食べることです。崎陽軒のシウマイ弁当を食べてきた人なら、崎陽軒本店で蒸籠で蒸された特製シウマイを食べるのは夢じゃないですか。ワックワックすっぞ!
象の鼻パークをウロウロしていると、かなりの数の案内板を発見できました。このエリアだけでかなり横浜通になれるんではないでしょうか。象の鼻防波堤 安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置しました。この波止場は、2本の突堤が岸からまっすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積卸しに使用されました。
横浜中華街に自転車で行ったの初めてだな〜 関帝廟通りにある横浜中華保育園の前に設置されている碑です。 日本国新聞発祥之地 日本における新聞誕生の地 ここ、横浜の元居留地一四一番は、一八六四(元治元)年六月二十八日、ジョセフ彦が、「海外新聞」 […]
日本で初の鉄道を作るために明治3年(1870年)に鉄道資材を英国から購入し横浜港で陸揚げされ建設が始まった。その2年後の明治5年(1872年)5月7日、この地に初代横浜駅が建設され、横浜、品川間に最初の鉄道が開業した。
中区にある獅子頭共用栓です。他に南区の方にも獅子頭共用栓あるようです。 こっちも見に行かないと。 獅子頭共用栓はヘンリー・スペンサー・パーマーが設置したものですが、こちらはレプリカなんですね。 ヘンリー・スペンサー・パーマーについては野毛の […]
アール・デコやE.L.ライトの影響を受けたと思われるファサードのデザインが巧みなうえ、細部のテラコッタの装飾もまた秀逸で、まことにシックなデザインである。
明治四年神奈川県今陸、奥宗光は高嶋嘉右衛門に市場開設を許す。明治七年高嶋嘉右衛門は更に船便良き港町に市場を移す。明治四十二年高嶋嘉右衛門の代、横浜港町魚問屋組合長大田德次郎は横浜食品市場株式会社を設立し市場一切を買収し水産物青果物問屋に店舗を貸し日増しに繁昌せり。
日ノ出町にあった旧陣屋跡地は明治政府に引き継がれ、一時陸軍用地になりましたが、明治25(1892)年に民間に払い下げられてからは、周辺の住宅地化が進みます。三浦半島は、東京・横浜からの日帰り行楽地として最適なこと、空気清澄、地下低廉のため別荘地、住宅地として魅力的な土地でした。
「伊勢佐木町」の名は、故青江三奈(平成十二年七月二日没)さん歌唱の「伊勢佐木町ブルース」によって、全国の人々に知られることになりました。当組合では、青江さんに深く感謝し、記念として、この地に歌碑を建立いたしました。伊勢佐木町ブルース歌碑は「楽器の王様」といわれるグランドピアノをモチーフとし、ピアノ部分は「さくら石」、台座部分は「黒みかげ石」を使用して製作してあります。