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横浜案内板集め

  • 2018年10月4日
  • 2020年7月12日

田中家前の案内板【神奈川宿歴史の道その3】

ここ台町あたりは、かつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊を見おろす景勝の地であった。弥次さん、喜多さんが活躍する『東海道中膝栗毛』にも、「爰は片側に茶屋軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とある。「おやすみなさいやァせ」茶屋女の声に引かれ、二人はぶらりと立ち寄り、鰺をさかなに一杯ひっかけている。

  • 2018年9月14日
  • 2020年7月12日

神奈川台の関門跡案内板【神奈川宿歴史の道その2】

ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。

  • 2018年9月5日
  • 2020年7月12日

上台橋の案内板【神奈川宿歴史の道その1】

東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。

  • 2018年9月2日
  • 2020年7月12日

桂歌丸のお別れの会が行われた妙蓮寺と妙蓮寺ニコニコ会沿革の石碑

妙蓮寺縁起 当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である 当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明 […]

  • 2018年9月1日
  • 2021年2月5日

逃げ恥最終回の舞台にもなった篠原八幡神社

篠原八幡神社は御鳥羽院の建久三年(西暦一、一九二年)に武蔵国太知波奈郡(橘樹郡)鈴木村の鎮守として鎌倉鶴岡八幡宮より歓請され鶴崎八幡と奉称し同村会下谷に始めて鎮斉された。寛永八年(西暦一、六六六年)更に社殿の再建されるに及び若宮八幡と奉称した。

  • 2018年8月31日
  • 2020年7月12日

観音菩薩の神通力で爆撃回避した新横浜の東林寺

東林寺の本尊は十一面観音菩薩です。終戦の昭和二十年五月二十五日午後十一時半房総半島より侵入したB29の編隊が東京を爆撃し横浜上空を通過して相模湾より退去した際 岸根公園の陸軍高射砲陣地より砲火が火を吹いたのです。

  • 2018年8月30日
  • 2020年7月12日

新横浜近くにある城の跡 小机城址市民の森の案内板

小机城について 築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、このあたりがひらけた十二世紀以降ではないかと思われます。 その頃は、このあたりは上杉氏の勢力下にあり、西方には、その支配下の榎下城があったことから、それとかかわりのある城と思われ […]

  • 2018年8月29日
  • 2020年7月12日

鶴見川渓流はバクの形綱島駅鶴見川の案内板

鶴見川の源流は、東京都町田市上小山田。まだまだ豊かな自然が残るこの池に、日量1300トンの湧き水(源流の泉ひろば)があり、やがて多くの水を集め川となり、多摩丘陵を下って東京湾に注ぐ河口まで、全長42.5kmになります。バクの形をしたエリアの広がりは235k㎡。

  • 2018年8月29日
  • 2021年2月5日

菊名プールを見守る菊名池弁財天

菊名池弁財天 祭神 市杵島姫命 七福神中唯一人の女神であります 弁財天のお姿は一般には琵琶をお持ちになって居ますが この弁財天は右手に剣を左手には宝玉をお持ちになりお顔は美しく気品と愛敬がおありです 剣は魔を払い交通安全 家内安全を現し宝玉 […]

  • 2018年8月29日
  • 2020年7月12日

東観寺の俗体男女並坐像浮彫墓標

この墓標は、正面唐破風屋根付の位牌型墓標で、俗体の男女像が浮彫されています。刻銘によれば、男女は桓武天皇二十九代で三浦氏を名のる由緒ある家系の夫妻で、亡夫の墓標を造立するに当たり、妻は逆修(生前に仏事を行うこと)して連理の契をあらわしたものであることが知られます。