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横浜案内板集め

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

関内ホールにある日本で最初のガス灯レリーフと案内板

安政6年(1859年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。ガス灯は、明治5年(1872年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

馬車道の老舗 馬車道十番館前は牛馬の水飲み場だった

牛馬飲水槽は大正六年、当時横浜の陸上交通の主力であった牛馬のために神奈川県動物愛護協会の前身である日本人道会と横浜荷馬協会が現在の横浜市磯子区八幡橋際に設けたものです。このほか中区の生糸検査所、西区高島町駅前、久保山のガードそばに設置し牛馬の途中休憩所としました。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

馬車道にある日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖顕彰碑

嘉永元年(一八四八)オランダから長崎へダゲレオタイプ一式が渡来した弘化二年(一八四五頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術習得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

関内駅近くのトラファルガー広場のガス灯の案内板

1805年、ナポレオン率いるフランス・スペイン艦隊を、スペインのトラファルガー沖で撃沈してイギリスを救った英雄、イギリス海軍ネルソン提督の活躍と栄誉を称えてつくられたのが、トラファルガー広場。高さ55mもの円柱(コラム)から町を見守るネルソン提督の像の台座には、彼の活躍した4つの海戦場所(トラファルガー・ナイル川・セントビンセント・コペンハーゲン沖)が描かれています。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

旧横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)の案内板

明治大正期に活躍した建築家、妻木頼黄の代表作の一つで、本格的様式建築。正面及び両側隅部には大きなペディメントを設け、壁面は窓ごとに大オーダーの柱形を出してバロック的効果を強調している。関東大震災前の横浜の経済的繁栄を象徴する建物で、国指定の史跡でもある。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

横浜の発展を支えた横浜為替会社の案内板

横浜為替会社は、全国の為替会社の中で唯一、洋銀券(ドル紙幣)を発行したほか、金券・銀銭札という紙幣を発行するとともに、生糸売込商等の横浜商人の資金需要に応じた。横浜以外の為替会社7社は、数年で解散に至ったが、横浜為替会社は、開港間もない明治初期の横浜に不可欠な金融機関となっていった。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

ポップなデザインが印象的な生糸貿易商 中居屋重兵衛店跡の案内板

中居屋重兵衛は、上野国吾妻郡中居村(現在群馬県吾妻郡嬬恋村三原)の出身で、横浜が開港した安政6年(1859)に横浜に進出し、黎明期の生糸貿易を担った貿易商です。その取引量は全輸出生糸の過半を超え、幕末の生糸貿易は中居屋によって支えられました。彼の店には全国各地の商人が生糸を持ち込み、多くの外国商人が生糸買付けに訪れたと伝えられます。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

町中にある関東大震災の遺構 開通合名会社の煉瓦遺構の案内板

この遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災で大部分が倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。

  • 2020年5月19日
  • 2020年7月12日

横浜の名所ジャックの塔(横浜市開港記念会館)の案内板

横浜市開港記念会館は、開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜「会館」として開館しました。建物は、大正12年の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ創建時の姿に復元されました。