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「歴史」の検索結果76件

  • 2020年7月13日
  • 2020年11月23日

旧横浜居留地48番館に残る関東大震災の傷跡

横浜最古の洋風建築物。創建から大正15年までモリソン商会の建物として用いられていた。関東大震災で、当初の2階建てが平屋となり、平面規模も6割に縮小されている。石灰製の目地を持つフランス積で、設計尺度はメートル法が用いられている。北側主入口のアーチ上部に創建時と見なされるキーストーンが置かれている。

  • 2020年7月10日
  • 2022年4月18日

横浜の歴史となりたちをわかりやすく紹介、なぜ横浜は発展したのか?

横浜の歴史を大事なところだけ、わかりやすくピックアップしています。(随時更新中) 横浜がどう発展していったのか、知れば知るほど興味深いのが横浜の歴史ですね。 どうやって横浜は人口370万人もの全国市区町村でトップの大都市になったのか、横浜発 […]

  • 2020年7月5日
  • 2020年9月14日

ただのボロ屋敷じゃないよ!保土ヶ谷本陣跡の案内板【保土ヶ谷宿歴史の道その1】

慶長6年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が「ほとかや」(保土ケ谷町)あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。

  • 2020年6月28日
  • 2020年9月14日

浦島太郎伝説で有名な慶運寺の案内板【神奈川宿歴史の道その19】

慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどなくかな川につきたり、此所へもこづくへの城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまへたり」と書いている。開港当初はフランス領事館に使われた。

  • 2020年6月15日
  • 2020年9月14日

象の鼻パークに行けば横浜の歴史まるわかり

象の鼻パークをウロウロしていると、かなりの数の案内板を発見できました。このエリアだけでかなり横浜通になれるんではないでしょうか。象の鼻防波堤 安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置しました。この波止場は、2本の突堤が岸からまっすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積卸しに使用されました。

  • 2020年6月7日
  • 2020年9月14日

ライオン頭の趣ある水道、中区の獅子頭共用栓

中区にある獅子頭共用栓です。他に南区の方にも獅子頭共用栓あるようです。 こっちも見に行かないと。 獅子頭共用栓はヘンリー・スペンサー・パーマーが設置したものですが、こちらはレプリカなんですね。 ヘンリー・スペンサー・パーマーについては野毛の […]

  • 2020年6月2日
  • 2020年9月14日

何気ない坂にも歴史あり、元町商店街の汐汲坂

汐汲坂の名は、昔、坂の上の住人が塩をつくるため海水を汲みにきたことに由来するといわれる。坂の登り口には古くから阿弥陀堂があって、明治初期、そこに三到学舎という学舎(まなびや)がつくられた。これが後に山手の明衛学舎と合併して元街学校となる。