YEAR

2018年

  • 2018年11月13日
  • 2020年7月12日

かえもん公園の案内板【神奈川宿歴史の道その5】

嘉右衛門は、天保三年(一八三二)、江戸に材木商の子として生まれ、開港後の横浜で成功を収めた。明治二年、政府は新橋・横浜間(現在の汐留・桜木町間)の鉄道建設を計画する。現在の横浜駅から桜木町にかけての一帯は、当時海で、鉄道を通すため、青木町から野毛にかけて、全長千四百㍍、幅七十六㍍の築堤を造らなければならなかった。

  • 2018年11月5日
  • 2021年2月5日

大綱金比羅神社前の案内板【神奈川宿歴史の道その4】

この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。

  • 2018年10月4日
  • 2020年7月12日

田中家前の案内板【神奈川宿歴史の道その3】

ここ台町あたりは、かつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊を見おろす景勝の地であった。弥次さん、喜多さんが活躍する『東海道中膝栗毛』にも、「爰は片側に茶屋軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とある。「おやすみなさいやァせ」茶屋女の声に引かれ、二人はぶらりと立ち寄り、鰺をさかなに一杯ひっかけている。

  • 2018年9月14日
  • 2020年7月12日

神奈川台の関門跡案内板【神奈川宿歴史の道その2】

ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。

  • 2018年9月5日
  • 2020年7月12日

上台橋の案内板【神奈川宿歴史の道その1】

東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸川からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折れ曲がったあたりが台町である。この上台橋は左端に当たる。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。

  • 2018年9月3日
  • 2020年7月12日

「果の果まで行ってみないか」モヤさまでも紹介された白楽六角橋の名物パキスタンカレーのサリサリカリー

神奈川宿巡りの帰りに地元で有名なカレー屋に行ってきました。サリサリカリーというパキスタンカレーを出してくれるお店です。色々な雑誌やモヤモヤさま~ずでも紹介されたお店なので、全国的にも知っている方は多いお店なんじゃないかと思います。あとベッキーが好きだったような……。

  • 2018年9月2日
  • 2020年7月12日

桂歌丸のお別れの会が行われた妙蓮寺と妙蓮寺ニコニコ会沿革の石碑

妙蓮寺縁起 当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である 当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明 […]

  • 2018年9月1日
  • 2021年2月5日

逃げ恥最終回の舞台にもなった篠原八幡神社

篠原八幡神社は御鳥羽院の建久三年(西暦一、一九二年)に武蔵国太知波奈郡(橘樹郡)鈴木村の鎮守として鎌倉鶴岡八幡宮より歓請され鶴崎八幡と奉称し同村会下谷に始めて鎮斉された。寛永八年(西暦一、六六六年)更に社殿の再建されるに及び若宮八幡と奉称した。

  • 2018年8月30日
  • 2020年7月12日

念願の鴨居カレーハウスカシミールへ

以前から足を運びたいと思っていた鴨居駅すぐ近くにあるカレーハウスカシミールへ行ってきました。『カシミール』といえば上野にあるデリー上野店が有名ですが、自称食通(ただの美味しい物好き)な私は自称レベルなので、わざわざ用がない場所に飯を食いには行かない質です。しかしながら自宅から近からず遠からずな頑張れば行ける距離にあるカレーハウスカシミールで、カシミールを体験してみたい思いが爆発し食べに行ってきました。お寺巡りもついでにこなしながら。