- 2020年5月19日
- 2020年7月12日
関内駅近くのトラファルガー広場のガス灯の案内板
1805年、ナポレオン率いるフランス・スペイン艦隊を、スペインのトラファルガー沖で撃沈してイギリスを救った英雄、イギリス海軍ネルソン提督の活躍と栄誉を称えてつくられたのが、トラファルガー広場。高さ55mもの円柱(コラム)から町を見守るネルソン提督の像の台座には、彼の活躍した4つの海戦場所(トラファルガー・ナイル川・セントビンセント・コペンハーゲン沖)が描かれています。
1805年、ナポレオン率いるフランス・スペイン艦隊を、スペインのトラファルガー沖で撃沈してイギリスを救った英雄、イギリス海軍ネルソン提督の活躍と栄誉を称えてつくられたのが、トラファルガー広場。高さ55mもの円柱(コラム)から町を見守るネルソン提督の像の台座には、彼の活躍した4つの海戦場所(トラファルガー・ナイル川・セントビンセント・コペンハーゲン沖)が描かれています。
古い昔からのランタンと、円柱からなるこのガス灯は、このシェフィールドパーク内に立っているものと同じガス灯で、1872年(明治5年)日本最初のガス灯が馬車道にともされたことを記念して、東京ガスの協力により設置しました。
明治大正期に活躍した建築家、妻木頼黄の代表作の一つで、本格的様式建築。正面及び両側隅部には大きなペディメントを設け、壁面は窓ごとに大オーダーの柱形を出してバロック的効果を強調している。関東大震災前の横浜の経済的繁栄を象徴する建物で、国指定の史跡でもある。
横浜為替会社は、全国の為替会社の中で唯一、洋銀券(ドル紙幣)を発行したほか、金券・銀銭札という紙幣を発行するとともに、生糸売込商等の横浜商人の資金需要に応じた。横浜以外の為替会社7社は、数年で解散に至ったが、横浜為替会社は、開港間もない明治初期の横浜に不可欠な金融機関となっていった。
中居屋重兵衛は、上野国吾妻郡中居村(現在群馬県吾妻郡嬬恋村三原)の出身で、横浜が開港した安政6年(1859)に横浜に進出し、黎明期の生糸貿易を担った貿易商です。その取引量は全輸出生糸の過半を超え、幕末の生糸貿易は中居屋によって支えられました。彼の店には全国各地の商人が生糸を持ち込み、多くの外国商人が生糸買付けに訪れたと伝えられます。
この遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災で大部分が倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。
横浜市開港記念会館は、開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜「会館」として開館しました。建物は、大正12年の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ創建時の姿に復元されました。
祐天地蔵尊は江戸時代中期に名僧祐天上人の名を冠して私達の先祖が疫病除けにお奉りし昔から厄除けと子育てにご利益があると信仰されています。この六角橋の地は東海道神奈川宿へ向かう街道の拠点とし此の場所は村内や宝秀寺への入り口でした。
安政6年(1859年)5月、幕府は伊予松山藩に命じ、勝海舟の設計で台場(砲台)を構築した。台場は総面積約26,000㎡(約8,000坪)の海に突き出た扇形で、約7万両の費用と工期約1年を要し、万延元年(1860年)6月竣工した。
安政六年(一八五九年)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(一八六〇年)六月竣工した。