• 2020年6月2日
  • 2020年9月14日

何気ない坂にも歴史あり、元町商店街の汐汲坂

汐汲坂の名は、昔、坂の上の住人が塩をつくるため海水を汲みにきたことに由来するといわれる。坂の登り口には古くから阿弥陀堂があって、明治初期、そこに三到学舎という学舎(まなびや)がつくられた。これが後に山手の明衛学舎と合併して元街学校となる。

  • 2020年6月1日
  • 2020年11月17日

霧笛楼の仏蘭西瓦とファニーの像 ジェラール瓦を叩いてみれば、文明開化の音がする

ここに展示してある2枚の瓦は、日本初の西洋瓦として元町の地で製造されたものの一部です。美しいレリーフで飾ったこのフランス瓦はその製造者であるフランス人技師アルフレッド・ジェラール(Alfred Gérard)にちなんで「ジェラール瓦」と呼ばれています。

  • 2020年6月1日
  • 2021年2月15日

元町の鎮守 元町嚴島神社の縁起

当神社は、今から約七〇〇年前より元横浜洲干島に鎮座していました清水弁天、洲干弁天を、元禄年間に合祀し、元町一丁目の増徳院仮殿に御神体を奉安していました。しかし明治維新の神佛混淆の禁止により増徳院から分離し、嚴島神社(いつくしまじんじゃ)として元町一丁目十五番地に社殿を造営、元町の鎮守様となりました。

  • 2020年6月1日
  • 2020年9月14日

石鹸工場も横浜発祥!日本最初の石鹸工場発祥の地、堤久右衛門忘酸製造所跡

堤磯右衛門は、磯子村の村役人を務める旧家の出身で、明治初期の横浜の実業家でした。磯右衛門は、明治六年(一八七三)三月、横浜三吉町四丁目(現・南区万世町二丁目二五番地付近)で日本最初の石鹸製造所を創業、同年七月洗濯石鹸、翌年には化粧石鹸の製造に成功しました。

  • 2020年5月31日
  • 2020年9月14日

日本最古のトラス橋は南区役所の裏にある浮舟水道橋

この結合方式のトラスは、明治中・後期にしか見られないもので、わが国に残されている最古のピン結合トラス式の道路橋として、大変貴重な存在です。今から約100年前の明治26年、神奈川県の土木技師・野口嘉茂の設計により、中村川下流の「西の橋」がトラス鉄橋に改築されました。

  • 2020年5月30日
  • 2020年9月14日

これぞ横浜の結婚式場ラ・バンク・ド・ロア(旧露亜銀行横浜支店)管理人もここで結婚式を挙げました

旧露亜銀行横浜支店は、大正10年当初、英国人バーナード・M・ウォードの設計により建設され、大正12年、関東大震「災による外壁損傷をうけ、復旧を経た後、ドイツ領事館、アメリカ銀行、横浜入国管理事務所等として平成8年まで使用されてきた。

  • 2020年5月28日
  • 2020年9月14日

桜の季節に来てほしい日ノ出町が生んだ文芸作家 長谷川伸の碑

新コは明治十七年、この土地、日の出町の大岡川にかかる黄金橋のたもとで生まれた。生家『駿河屋』はヨコハマ市街地建設のため野州から移住してきた請負業である。新コはこの地で関八州の渡り職人衆から渡世の礼儀を学び、また神奈川県自由民権運動の魁、相州真土村騒動の指導者たちから、民衆の側に立って闘う男の姿を学んだ。