• 2020年5月28日
  • 2020年9月14日

こんな場所で船を作っていた!?横浜船渠会社(三菱重工業横浜造船所)正門

かつてこの付近には「ハマのドック」の名で親しまれた横浜船渠(せんきょ)会社(後の三菱重工業横浜造船所)の正門があり、数多くの人がこの場所を行き来しました。貨新線の「みつびしどっく踏切」という踏切名称にその名残を見ることができます。みなとみらい21地区には横浜船渠会社の遺構として、日本丸メモリアルパーク(第一号ドック)、ドックヤードガーデン(第二号ドック)などが残されています。

  • 2020年5月28日
  • 2020年11月28日

みなとみらいは海だった。西区の埋立の歴史を知る

江戸時代、現在の桜木町やみなとみらい21地区、横浜駅周辺はすべて海でした。安政6(1859)年、東海道と開港場をつなぐ横浜道が野毛の山を切り開いて築かれ、戸部の高台には神奈川奉行所が設けられるなど戸部・野毛の丘は開港期の横浜の発展を担う日本人の拠点となりました。

  • 2020年5月27日
  • 2020年7月11日

横浜市中央卸売市場本場ちかくは本陣跡だった。神奈川本陣跡と青木本陣跡の案内板

慶長6年(1601)、東海道に宿駅・伝馬の制が定められたとき、市域では神奈川、保土ケ谷の二宿(戸塚宿はその後の設置。)が設けられました。神奈川宿には、滝の橋をはさんで、東海道沿いに東の神奈川町、西の青木町に本陣を置き、神奈川町は名主石井家(源左衛門)、青木町は鈴木家(源太左衛門)が宿役人として任命されました。

  • 2020年5月26日
  • 2020年7月11日

横浜最古のお寺はここにあり!弘明寺商店街を抜けて弘明寺観音へ行ってみた

京急弘明寺駅からは駅を出て直ぐ、横浜市営地下鉄弘明寺駅からは、弘明寺商店街を抜けた先にある弘明寺観音です。 弘明寺観音は横浜最古のお寺で、本尊の木造十一面観音立像は、国の重要文化財に指定されています。 春になると、直ぐ近くの大岡川の桜と相ま […]

  • 2020年5月25日
  • 2020年7月11日

カップルの聖地港の見える丘公園はジブリの聖地

港の見える丘公園の現在展望台になっている高台の周りには、幕末から明治のはじめにかけてイギリス軍兵舎がおかれ、山のすそにはフランス軍が駐屯していた記録があります。その後高台にはイギリス総領事公邸が、山側にはフランス領事館が建てられ、現在はイギリス総領事公邸がそのまま横浜市イギリス館として市民に利用されています。

  • 2020年5月25日
  • 2020年7月11日

横浜の水道は野毛山にあり野毛山貯水場跡で歴史を知ろう

明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。

  • 2020年5月24日
  • 2020年7月11日

歴史の教科書でも有名な生麦事件の地3ヶ所を巡ってみた

文久二年八月二十一日(西暦一八六二年九月十四日)、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。

  • 2020年5月24日
  • 2020年11月13日

横浜のサグラダファミリア3代目横浜駅の歴史を知る

現在の横浜駅がある辺り一帯は、江戸時代の終わり頃まで入江が深く入り込む浅瀬でした。駅周辺地区は、明治5(1872)年、新橋と横浜の間に鉄道が開通するのに合わせて、実業家高島嘉右衛門が、入江の先をまっすぐに通り抜ける線路敷とその辺り一帯を埋め立てできた土地です。